橋本裕の日記
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小学生4年生の頃、私が住んでいたのは長屋の警察官官舎だった。他にも一戸建ての官舎はあったが、父が最下級の巡査の階級だったので、長屋の官舎になったのだろう。ちなみに父は退職するまで巡査のままだった。
私の同級生には署長の息子がいた。父親同士は上下の関係だが、私たちの間にはいささかも上下関係はなかった。私は彼を山本君とよび、彼は私を橋本君と読んだ。いつも一緒に帰り、一緒に遊んだ。
しかし、山本君は寄り道をして、私の家に上がり込み、おやつを食べていったりしたが、私が彼の家に上がったことは一度もなかった。あそびに行っても、門の外でいつも彼が出てくるのを待っていた。まして、おやつをもらったこともなかった。
今から考えると、ずいぶん不平等だったように思うのだが、その頃は「彼のお父さんはえらい人だから」ということで納得していたようだ。そのことをとくに不平に思ったり、不愉快に思ったりしたことはない。
長屋に住んでいて、そのことに引け目を感じたこともなかった。むしろ、長屋暮らしがとても楽しかった。隣には仲の良い一つ年下の「うしおちゃん」という少女が住んでいて、よく一緒にあそんだ。海水浴にも行ったし、長屋の五右衛門風呂にも一緒に入った。快活で気立ての良い女の子だった。
母が後年、「小浜の長屋にいたころが一番楽しかった」と言ったことがあったが、それはこの長屋に住んでいた4家族の心がひとつに解け合っていたからだろう。同じ風呂釜に入り、料理を一緒に作ったり、分け合ったりした。
あるとき、うしおちゃんと私と山本君が遊んでいて、夕暮れになった。「さようなら」と言って山本君が一人淋しそうに帰っていくのを見送りながら、「山本君はかわいそうだね」と思わず口にした。うしおちゃんが私の顔を見て、「私たちは一緒でよかったね」と言った。
彼女の言葉や、快活な微笑みが、セピア色の記憶の底から蘇ってくる。久しぶりに自伝「幼年時代」を読み返しながら、うしおちゃんや山本君のことを思い出して、なんだかとても幸せな気持になった。
(参考)橋本裕自伝「幼年時代」 http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/younen.htm
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