橋本裕の日記
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一昨日の体育の日、妻が義兄の家に行って、新米をもらってきた。義兄から電話があって今から持っていくというのを、妻が「こちらからもらいに行く」と言って出かけた。「俺も行こうか」と声を掛けたが、「大丈夫」と、妻一人で出かけた。
義兄は名古屋市の職員だが、田んぼや畑を人に貸して農業もしている。私の家で食べる米は義兄の家からもらっているが、米だけでなく、パソコンや自転車もくれる。長女が使っているパソコンは義兄のものだし、私が毎日通勤で使っているマウンティングバイクも義兄にもらったものだ。
結婚したころ、200坪ほどの土地をやるから家を建てろといわれたこともある。義母には「田んぼを売れば2000万円ほどできる。必要なら作る」と言われた。これは妻が断った。私は、「もらっておけばよかったのに」と思ったものだ。
土地持ち農家の景気の良い話を聞いているので、「もらってあたりまえ」のように思っていたが、考えてみればこうした感覚はおそろしい。他人をあてにして、自立心を奪われることになる。子供の教育にもよいわけはない。妻が「私たちで何とかします」と断ったのは正解だった。
自分で稼いだお金で地道に生きることのほうが大切だ。そうすればお金の値打ちもわかるし、倹約や節約することも身に着く。それにお金がなくてあれこれやりくりして、ようやく手に入れたものは輝いている。しあわせもそうした生活の中で実感される。
私の二人の娘はこうした環境の中で育っている。だから労働を尊重するし、努力することの大切さをわきまえている。考え方が堅実でまともだ。これは親の思想や生き方がまともだったせいだと自画自賛している。
さて、義兄と言っても、歳は私よりも下である。最近では顔を合わせるのは米を持ってきてくれるときくらいだ。そのとき、家に上がって貰って、お茶を飲みながらしばらく談笑する。しかし、今年は顔を合わせる機会もなかった。義兄の方でも一年ぶりの再会を楽しみにしていたのではないだろうか。妻が米をもらいに行くと、少し不機嫌だったという。
義兄の家には3人の男の子がいる。長男は工業高校を卒業して専門学校に通っている。次男は今年から東京の大学に行っている。三男は高校生だ。今年は米がかなりあまったという。次男が家を出たせいで、食べ盛りが一人抜けたせいだろう。
私の家も長女がアパートで暮らし、次女が大学の寮に入ったので、米がかなりあまるようになった。私も小食主義でほとんど御飯を食べなくなった。義兄に「こしひかりもあるから一俵持って行け」といわれて、妻は「そんなにいらない」と断ったという。
散歩の途中、妻の畑に寄り道する。そこで妻が畑仕事をするのをしばらく眺めている。農薬を使わないので、白菜の葉に虫が付いている。それをていねいに一つ一つ手で取り除いている。こんな細かい作業は私にはできない。こういう仕事に生きがいを感じられる妻に感心するしかない。
かたわらの田んぼでは、雀の群が小躍りして米を食べていた。鳩も道端で田んぼから伸びている稲穂をついばんでいる。彼らにとって食料の豊かな今の季節が最高なのだろう。さて私はおいしい新米が届いたからと言って、小食主義を崩したりしないでおこう。ただ稔りの秋である。雀たちと一緒に秋の稔りを楽しみ、天の恵みに感謝したい。
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