橋本裕の日記
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一昨日の日曜日、妻と長女と私の3人で、福井県の岐阜県境にある「夜叉ヶ池」へ行ってきた。池と言っても山上にある火口湖である。あいにく大学生の次女は馬術部の試合があって、山登りには参加できなかった。
長女の車で出かけた。看護婦の長女は夜勤明けだったが、運転するという。私が運転を申し出ると、「目が悪い人には運転させられない」という。「もう大丈夫だ」と言っても、「何かあったらどうするの?」と、私にはハンドルを握らせなかった。北陸自動車道を今庄インターでおりて、車で30分ほど走ると、夜叉ヶ池登山口についた。
そこから2時間半ほど山道を歩いた。登り初めて、1000メートルは緩やかだ。しかし残りの2000メートルは急な坂道が続いた。夜叉ヶ池は日野川の源流だという。途中に滝や栃の大木があった。木洩れ日の中でブナの原生林の緑が眼に優しく、涼しい秋風が汗ばんだ肌に快かった。
以前と比べて身が軽く感じられたのはダイエットで6キロ痩せたせいだろう。69キロあった数ヶ月前までは階段を上るのも大義だったのが、63キロの現在は別人のように足が動く。ダイエットで身も心も若返ったような気がした。私は妻と長女に自分の健康を誇示するために、よけいにがんばった。大量の汗を流して、爽快だった。
「あと500メートルで夜叉ヶ池」という標識があった。池に近づくと、傾斜は緩やかになった。5月頃にはこのあたりにカタクリやニッコウキスゲが群生するのだという。やがて、視界が開け、池が見えた。
1100メートルの山頂に緑の水を満々とたたえた池がある。岐阜県側は絶壁だ。この壁が崩れたら、大洪水が起こるのではないかと不安になる。この不安を独特の美的で幻想的な戯曲にしたのが泉鏡花の名作「夜叉ヶ池」だ。
もともとこの池には龍神が住むと言い伝えられ、いくつか伝説が残っている。その代表的なものの一つが次のような話だ。次のHPから引用させていただいた。(夜叉ヶ池のきれいな写真も見ることができる) http://www.hotimajo.jp/yashagaike/yashagaike.htm
<昔、越前国 南条郡池ノ上に弥兵次という豪農が住んでいました。ある年の干ばつに弥兵次は耐えかね、池の大蛇に「水を田に入れてくれるなら、私の娘を嫁にあげよう」と頼み、大蛇もこれを承諾しました。すると次の日、田に水が入り、作物が活気を取り戻し、弥兵次は大いに喜びました。
しかし、約束を考えると弥兵次は悩み苦しみました。しかたなく愛娘の一人をお嫁に出しました。娘は蛇体となり、大蛇はそれを伴って夜叉ヶ池に入りました。のちに娘の女蛇は竜神となって、干ばつの年には雨を降らすと言われ、夜叉ヶ池は竜の住む神秘の池となっています。>
帰りは1時間ほどで下山した。今庄は蕎麦どころで有名である。蕎麦を食べたかったが、あいにく長女が蕎麦アレルギーである。それに時間も3時と中途半端だった。今度は妻の運転で一宮に帰り、長女が栄養補給のために食べたいというシャブシャブの店に行くことにした。
5時過ぎに一宮に着き、シャブシャブを食べたが、私は肉をほとんど長女に分けてやった。休日は夕食を抜いて「二食」というのが私のポリシーだが、長女と食事をするのは久しぶりである、お昼はおむすび一個だったし、山登りをした後だから、健康のためにも夕食をとるべきだろう。
それでも風呂に入って体重計に乗ると、63キロを割り込んでいた。もう血圧の薬を飲まなくなって2週間になるが、平常値をたもっている。しかも少しずつ低下気味だ。「小食に病なし」という格言があるが、これからも小食によって健康を維持したいと思った。
看護婦の長女は、明日は早朝勤務だということでアパートに帰っていった。大学の馬術部で部長をしている次女は、連日名古屋市で行われる大会に出場していて、その日はとうとう帰ってこなかった。
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