橋本裕の日記
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2005年10月06日(木) 教師を評価するシステム

 私の2週間のCPILS滞在も終わりに近づいた頃、1:4のコリーンのクラスで、4人の生徒に教師評価用のペーパーが配られた。私はコリーンの授業をふくめて3クラスとっていたので3枚、あずみは4枚、他の二人もそれぞれの枚数のパーパーを受け取り、受けているクラスの分だけ評価を記入した。

 評価の基準となる項目が40ほど並んでおり、それぞれ1〜5の5段階で評価する。項目の英語を読むだけで一仕事である。面倒くさいので、私はどれもveru good の「5」にしておいた。そのくらい、3人の教師の授業に満足していたからだ。

 評価を書き込んでから、項目をよく読んでみると、「あなたの先生は、自分の給料についてあなたに何か話しましたか」というようなマイナスの文章がある。これは「5」ではなく、「1」にしなければならない。そこであわてて書き換えたりした。

 生徒は2週間間ごとにこうした方法で教師を評価しているようだ。こうした制度は日本では珍しいが、外国ではあたりまえのことだろうか。これではたしかに、教師は手抜きはできないに違いない。

 それから、これはマンツーマンのジェニーの授業の時だが、格上らしい教師がノート持参で参観に来たことがあった。メモを取りながら授業を20分ほど黙って参観した後、ジェニーを外に呼び出して、何かアドバイスを与えている。

 ゆみのマンツーマンの授業でも、同じ様な授業参観があったという。ゆみも先生も緊張して、なんだかぎこちなくなり、ゆみはただでさえ英語が出てこないのに、ますます口が重くなってしまった。指導係の教師がかえったあと、先生はゆみの前で気の毒に思うくらい落ち込んでいたという。

 さいわい、私とジェニーの授業は参観者の同席に関係なく和気藹々として活発だった。とにかく会話がとぎれることがないのである。このときは「幸福とは何か」ということについて、ジェニーと私でディベートの最中だった。

「肉体の健康は幸福にとって必要不可欠のものではない」というのが私に与えられた立場である。しかし、これは私の考えではない。ジェニーと論争しているうちに次第に旗色が悪くなってきた。それでもディベートだから、全知全能を傾けて、ジェニーを論破しなければならない。参観者のことなど眼中になく、思わず熱が入った。 

 「shinのようによくしゃべるのは、日本人にはほんとうにfewなケースだ」と言われたが、とくにジェニーの授業では私は饒舌だった。英語が自然と口からあふれてくるから不思議である。これもジェニーがとても美人で、聡明な先生だったからだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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