橋本裕の日記
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2005年09月30日(金) モアルボアルへの旅(2)

 モアルボアルで降りると、私は青年が選んでくれたトライシクルに乗り込んだ。運転手はみるからに人のよさそうな中年男で、そのおだやかな笑顔が、幼なじみのM君に似ていたので、よけいに安心した。

「6時までにセブに帰らなければならないので、時間がありません。ビーチで海を眺め、食事をしたら戻りたいのです。いくらですか」
「400ペソです。あなたをビーチに案内し、レストランで食事をしていただき、一休みしたらまたここにお連れします。どうですか」
「わかりました。それでお願いします」

 400ペソ(800円)は少し高いと思ったが、値段の交渉をする気になれなかった。それよりも彼の英語がきれいに聞き取れたので、安堵感が先に立った。彼は給油所に向かい、ガソリンを補給した後、海岸へと続く一本道を走りだした。

「ゆっくりできないのですか」
「今夜6時に友人と約束があるのです」
「またいらしてくだだい。私の名前はビリーです」
「よろしく、ビリー。私はシンです」

 トライシクルというのはバイクの横にサイドカーを付けて走る簡易タクシーである。スピードはあまりでないが、そのかわり窓越しに運転手とのんびり会話ができる。ビリーは私が日本人だとすぐにわかったらしく、知人の日本人の名前を何人かあげた。モアルバウルには日本人が何人も住んでいるという。

 ときどきトライサイクルとすれ違う。そのたびにビリーは親しげに声を掛けていた。このあたりの顔役という感じである。両側に椰子の木立がそびえ、所々に風情のある民家が点在していた。快い気分で異国の旅情を楽しんでいると、15分ほど走ったところで、突然、ビリーのバイクに異変が起きた。

 前のタイヤが突然ガタガタいいだし、回転軸からハブがはすれてみごとに変形してしまったのである。ビリーは車を止めて、何だか困ったように現地語でぶつぶつ言っている。私が心配そうに覗き込むと、笑顔に戻って、「心配するな」と言った。

 ビリーは彼のトライサイクルを道端に寄せると、通りがかったトライサイクルを捕まえて、何やら交渉し始めた。それから、私にそれに乗るように促し、自分はそのバイクの後部座席に乗った。こうして私たち3人はビーチに向かった。

 ビーチには茶屋がならんでいた。そこに運転手を残して、私とビリーは波打ち際に歩いた。白い砂浜に静かに波が寄せていた。若い母親と少女が水浴びをしていたので、「写真を取らせてください」と声を掛けてから、カメラを向けた。

 ビリーが写真を撮りましょうかというので、私も一緒に撮って貰った。セブへ来て動かなくなったデジタルカメラが、この日の朝、電池を入れ替えると突然動き出した。壊れたと思ったのは私の勘違いで、電池切れだったのである。カメラが動かなくなって最初に電池を入れ替えたとき、あやまって使い古しの電池と交換したらしい。

 とにかく旅行のために1万8千円も出して買った新品のデジタルカメラである。間が抜けた話だが、最終日になってようやく役に立ったわけだ。渚を歩きながら、私は白浜とその向こうに広がる青い海を何枚か撮った。

 海岸にはほとんど人気がない。日差しが白い砂浜にはじけてまぶしい。しかし、木立の蔭にはいると、潮風が快かった。少し離れた木立の中にバンガローが点在している。12月から1月にかけての観光シーズンには日本や韓国からかなりの客が来るらしい。このバンガローは安く泊まれる。ここにとまって、ダイビングなどをたのしむのだという。

「腹が減った」というと、「近くにレストランがあります」とビリーがいう。浜辺を10分ほど歩くと、それらしい建物が見えてきた。そのレストランはホテルやバンガローを含めた施設のの一部で、上院議員がオーナーで、大統領も来たことがあるのだという。

 あいにく、午後からここを会場にして結婚式の披露宴があるので、準備のためレストランは営業していなかった。しかし、ビリーが交渉すると、海の見えるテラスの片隅にテーブルをセットしてくれた。メニューを見ながら、「どれがおすすめか」ときくと、「ステーキがうまい」というので、それを頼んだ。スープと野菜、ドリンク付きで180ペソ(360円)ほどである。ビリーにも同じものをおごることにした。

 ビリーは名前は西洋風だが、顔立ちは日本人と変わらない。私の幼なじみとそっくりである。二人で向かい合って食事をしていると、何だかその幼なじみと会食しているような錯覚がした。

 ビリーは沖合に浮かぶのがペスカドール島だといい、その近くまで舟で行って潜ると魚がたくさんいて面白いと言った。さらにその向こうに見えるのがネグロス島らしい。何とかという火山があるという。

「きれいな海だ。いつもこんなにおだやかなのか」
「そうでもない。しかし、今頃の季節はおだやかだ。時間があればダイビングが楽しめるのに残念だ」
「サメはでないのか」
「この辺は大丈夫だ」

 ビリーによると、今日ここで結婚するのは日本人男性とフイリピン女性のカップルだという。フイリピン女性と結婚して棲みつく日本人もかなりいるらしい。海を眺めながらステーキを食べていると大きな犬がやってきた。私は食べのこしのステーキを犬にやった。

「またゆっくり来てくれ。ホテルは高いが、バンガローは安い。オーナーは僕の友達だから口を利くよ」
「またくる。そのときはビリーをあてにするよ」
「12月ごろ手紙を出す。ここにシンの住所をかいてくれないか」

 食事を済まして、また白浜を歩いた。茶屋にいた運転手もやってきて、彼の車でバス停まで戻った。ちなみにタクシーでセブまでいくらだと聞いたら1500ペソだという。セブのタクシーの運転手の提示した額とおなじだった。ビリーに400ペソ渡し、もう一人の運転手に30ペソ渡して、「これでビールでも飲んでくれ」と言った。

 バス乗り場でビリーと別れた。隣りに坐っている少年に、「君もバスを待っているのか」と聞いたら、「いいえ」と答えた。「英語はできるの?」と聞くと「学校でならっています」と割合癖のない発音で答えた。その少年と話していると、ビリーがやってきて、「バスが来ました」と知らせてくれた。バスに乗り込むと、ビリーと少年に手をふった。

 帰りのバスに乗ったのが2時半頃だった。それから3時間ほどバスに揺られ、セブのバスターミナルに帰ってきた。タクシーを捕まえてディプロマットホテルに着いたのが5時55分である。6時から約束していた韓国人学生たちとの会食会に間に合った。

(注)セブ島で書いた日記もふくめ、これまで日記に連載したものを、「セブ島留学体験記」としてまとめました。
 http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/cebu.htm



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