橋本裕の日記
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2005年09月26日(月) 旅のトラブル

 旅立ちの一週間前に得体の知れない頭痛と視力障害におそわれ、一時は旅をあきらめかけたこともあったが、結果から言えばこの障害があって、よけいにセブ島語学留学に対する思いが強くなったようだ。終わってみればすべて「塞翁が馬」である。

 旅にトラブルはつきものだ。しかし、その一つ一つのトラブルを解消していくなかで、少しずつ旅の心構えを学んでいく。これは人生という大きな旅の場合も同じだろう。

 海外に行くのは3月に家族でタイに行って以来だが、今回は視力障害をかかえたままでフィイリピンへの一人旅というわけで、最初はかなり緊張した。飛行機は予定通り9:30分に名古屋空港を飛び立ったが、着陸したのは予定より1時間遅れの13時30分である。

 これだとマニラ空港での国内線への乗り継ぎ時間が少なくなる。たいへんあせったが、しばらくしてようやく、日本とフイリピンとの1時間の時差に気付いた。これで少しほっとしたが、勝手の知らないマニラ空港での乗り継ぎそのものも、くわしく書けばトラブルの連続だった。

 マニラ空港でどうにかセブ行きの飛行機に乗ったものの、この飛行機が滑走路に入ったところで停止してしまった。それからまたもとの搭乗位置に引き返し、動かなくなってしまった。狭い機内でまたされること1時間以上である。

 もうとうにセブに着いていなければならない時間に、まだマニラ空港にいて、しかもいつ飛行機が飛び立つのかわからない。その間に2回ほど機長がフイリピン語と早口の英語でなにやらぼそぼそ行ったが、これが私にはまったく聞き取れない。

 ガソリンの高騰で、多くの航空会社が経営危機に落入っているという。無理な合理化を進めれば、安全が脅かされかねない。現にたくさんのトラブルが発生しているという記事を読んだばかりだったので、なおさら不安だった。

 結局セブに着いたのは、4時15分予定から1時間以上遅れた5時半過ぎだった。名古屋から送られてきた荷物を受け取り、空港の外に出たときにはもう夕方で、私の視力ではほとんど何も見えない。

 学校の出迎えの人は「ダークブルーのTシャツ」を着ていて、それが目印だと観光会社の注意書きに書いてある。そして、旅行三日前にも東京からの電話で、絶対に親しげに近づいてくる人の指示にしたがってはいけないと念を押されていた。

 しかし、このときは全体がダークブルーだから、私にはだれが出迎えの人だか分かりようがない。出迎えの無数の人垣を前にして、このときはほんとうに心細かった。現地の人を容易に信じるなという言われていたが、このときは親切なフイリピンの人に助けられて事なきをえた。

 このように、行きのときは大変緊張し、トラブルにあわてふためき、過剰反応したりしたものだが、帰りのときはかなり心理的にゆとりがあった。視力が回復していたことに加え、2週間の語学研修のせいで、いくらか英語に自信がもてたからだろう。

 言葉が通じないということが、海外旅行ではかなりストレスになる。言葉が通じ、他人の善意が少しだけ信じられれば、旅はそれほど不便でも、恐ろしくもないということがわかった。


橋本裕 |MAILHomePage

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