橋本裕の日記
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2005年08月28日(日) 抽象化された貧しい世界

 物理学を勉強していた大学生のころ、少し精神に異常をきたしたことがあった。世界が色や香りを失ったような気がした。数学や物理は分かるのだが、およそ人間的な感動が味わえず、自分がミュータントのような異常人間になったような気がした。

 こうした状態がもう少し進めば、異常であるという自覚さえうしなわれ、私は本物のミュータント(デジタル人間)になっていたのではないかと思う。幸い私は万葉集に出合うなどして、またもとのアナログ的な豊饒な現実世界に回帰することができた。

 大学時代のふしぎなデジタル体験を思い出したのは、朝日新聞に連載されている梅原猛さんの「反時代的蜜語」を読んだからだ。8/22に掲載されたのは「アニミズムと生物学」という題だった。

 梅原さんはこのなかで、ユクスクユル著の「生物から見た世界」という本を紹介している。とくに私が面白いと思ったのは、ダニの話だ。梅原さんの文章を引用してみよう。

<雌のダニは交尾を終えると適当な灌木の枝先に登り、その枝の下を小動物が通るのを待つ。ダニには目がなく耳もないが、哺乳動物の皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いを敏感に嗅ぎつけると、枝から落ち、動物の皮膚に密着して血を吸う。そして血を吸い終わると地面に落ち、産卵して死ぬ。

 このような雌ダニは酪酸の匂いのみに敏感に反応する知覚器官と、その匂いを嗅ぐやたちまち行動を起こす作用器官をもっている。雌ダニにとって、この世界の一切のものは捨象され、酪酸の匂いだけが現実なのである。・・・

 私はこのダニの話を興味深く読んだが、ふと、今の日本で活躍している短期間で何百億と金を儲けたような人たちは、酪酸の匂いにのみ敏感なダニのようにカネの匂いのみ敏感で、獲物とみるや飛びかかるような人間ではないかと思った。

 そういう人はこのような世界のみが現実の世界であると思っているようであるが、それはカネ以外のものが捨象された大変貧しい世界なのではなかろうか>

 自分が住んでいる抽象された貧しい現実だけが世界の全てではない。しかし、もっと豊饒な現実が他にあるということを知らなければ、そうならざるを得ない。

 小さい頃から受験競争ににあけくれ、長じては経済戦士として冷暖房完備の高層ビルで働くビジネスマンや、二世、三世の政治家は、どれほどこの豊饒な現実を知っているのだろう。彼らが書いたり話したりしていることを聞くと、私は自分が大学時代に経験した異界に舞い戻ったような寒々とした気がする。

 私にはそうした異界に住むミュータントの心理がいくらかわかる。私の目からはそうした人たちが住みやすいように、いま日本全体が作りかえられようとしている。しかし、この試みは恐らく失敗するだろう。なぜなら日本にはそうしたデジタル人間をも包み込む豊かな自然があるからだ。

 昨日は友人の北さんの案内で、美濃市のうだつの古い街並を散歩し、その少し先にある片知渓谷に遊んだ。緑に包まれて、水の音、風の音を聞きながらおむすびを頬張っていると、心の底から感動がわき上がってきて、「生きているということはいいな」という思いにみたされた。昨日は自然からエネルギーをもらって、心身とも爽快だった。

 渓流に素足をおけばよみがえる
 少年の日のこと赤トンボの空    (裕)


橋本裕 |MAILHomePage

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