橋本裕の日記
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去年、森田実さんの講演で、「みなさん、いま世界の水がたいへんなのです。日本の水も狙われています」と聞かされて、少し調べたことがある。そして、世界には水という大切な公共資源を「商品」にして儲けている人たちがいることを知った。
このことは余り知られていない。これまでほとんど報道されることもなかったが、ようやくこれをNHKが取り上げてくれた。8/20(土)のNHKスペシャル「ウオータークライシス、水は誰のものか」「第一集 狙われる水道水」はみごたえがあった。
1990年代にはいり、「水道の民営化」が世界的なブームになった。財政赤字になやむ自治体がつぎつぎと水道設備を民間に売り渡し、水道事業から手を引いた。また、発展途上国では、民間企業の力で水道設備を敷設する動きが活発化した。
これを促進したのが世界銀行である。その理念は役所の無駄をなくし、住民に経済的に水を供給しようということだった。こうした流れの中で、1990年にまずイギリスのサッチャー首相が水道事業の民営化を断行した。
つまりイギリス中の水道施設を州ごとにすべて民間の会社に売り渡した。その後、15年がたっている。水道事業の民営化は成功したのだろうか。NHK番組では、ウエールズ州でおこったことがレポートされていた。
ウエルシュ・ウオーターという水企業が、水商売であげた利益を元手にホテル買収などの多角経営に乗りだし、結局は経営不振に陥り、アメリカの水企業に買収されてしまったのだ。これを契機に、ウエルシュ・ウオーターの元社員だったクリス・ジョーンズという人が、「グラス・カムリ」という水道事業のためのNPOを立ち上げ、基金をつのって3800億円で水道施設をアメリカ企業から買い取った。
NPOなので株の配当もなく、利益はすべて地元に還元している。さまざまな職業をもつ州の56人の住民がボランティアで経営に参加し、低価格で安全に水が供給されるよう目を光らせており、代表や役員の人事権もこれら地域住民が握っているとのことだ。
NPO代表のクリス・ジョーンズさんは、NHKのインタビューのなかで、「私たちの団体は水そのものを所有しているのではなく、ただインフラを所有しているのにすぎない。水道事業はビジネスではなく公共サービスだ」と述べていた。
アメリカのカルフォルニア州の人口3250人のフェルトンという村の出来事も興味深いものだった。村では昔から地元の民間会社が川から水を引いて村に水道水を供給していたのだが、この会社がニュージャージー州にある水企業に買収され、さらにその1年後にはこの会社がイギリスの水会企業に買収された。しかもこのイギリスの企業はドイツにある多国籍企業の子会社だというのだ。
買収後、水道料金が一方的に値上がりした。しかもインフラの補修もいい加減になった。地元の民間会社なら、出かけていってファーストネームで呼び合う社長に苦情をぶつけて、即座に解決したものが、買収後は何千キロも離れたところにある会社と文書でやりとししなければならず、しかもその約束もほとんど守れない。これに業を煮やした住民が立ち上がり、水道設備をそのドイツにある多国籍企業から買い戻したということだ。
その費用は12億円にのぼり、一世帯が毎年6万円ずつ30年間かかって支払い続けるのだという。それでも買い戻したのは「水は商品ではなく、自分たちの水を自分たちでコントロールできないというのは命の危機だ」という主張が住民投票の結果74.8パーセントもの人々に支持されたからだ。
これと対照的なのが、民営化した企業が多額の負債を出して撤退したマニラのケースだ。約束に反して水道料金が4倍に跳ね上がったため、貧乏な人々は料金が払えなくなった。このため水が飲めない人や、水泥棒がはびこり、ついには集団コレラまで発生した。
この結果マニラではついに企業が匙を投げて民営化が破綻し、自治体がその尻拭いのために立ち往生している姿が克明にレポートされていた。コレラの流行などによる水道事業の破綻は、水道水を民営化した南アフリカでも起こっている。アフリカの別の国では暴動が起こり、民営化した事業を国営に戻した。
このように1990年代に全世界的規模で行われた水道水の民営化は、一部の企業に巨万の富を供給し続けている一方で、高くなった水の料金が払えず、命の危機に瀕している「水難民」を大勢つくりだした。民営化で水が「商品」となった時一体何が起きたか、民営化を善だと信じて疑わない人は、この現実をよく見て欲しいと思う。
水道事業にかぎらず、民営化にはいろいろな場合があるが、失敗する確率が多いのは、政府が財政難に陥って苦し紛れに行うときだ。政府が本来責任を持ってやらなければならないことを、責任逃れで民間にまかせてしまう場合である。
やはり生活に直結する社会インフラは自治体なり国が最後まで責任を持っ必要がある。自治体が散漫な経営をしておいて、身動きが出来なくなったあげくに最後は民間にまかせて逃げていこうというのは困る。
それからNHKの番組を見ていて怖いと思ったのは、民間企業が次々と買収されて、水道施設が遠く離れた大企業の所有となり、住民との絆を失って、結局料金を上げないという契約も容易に無視されてしまうことだ。住民がこれに異議を唱えようと思っても、何千キロも離れたところに会社があるので、交渉に時間がかかるし、意志の疎通がむつかしい。
カルフォルニア州フェルトンの水道を買収したドイツの水企業は20ヶ国7000万人に水を供給し、その売り上げは5兆円だという。こんな企業を相手に片田舎の住人が交渉するのは大変だ。たまたま精力的に運動を展開した住民意識の高い人たちがいたからよかったものの、普通は泣き寝入りするしかない。
フイリピンのマニラ市の水道を買収したのはフイリピンの財閥企業とフランスの世界三大水企業の合弁だが、こんな大企業でも経営がむつかしくなると、さっさと役員を引き上げて、事業をなげだしてしまう。利潤本位の私企業では、こうしたことが起こる。
しかし、こうした公共のサービスに係わる企業は社会的責任を自覚すべきだ。自動車工場やパソコン工場ならともかく、公共性の高い水道事業には何百万人という都市住民の健康がかかっている。結論として言えることは、私たちの大切な公共財である水を、安易に「商品」にしてはいけないということだ。
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