橋本裕の日記
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いま世界には二つの流れがある。ひとつはEUが志向してきた社会民主主義的な国造りの方向である。これは国は国民の大多数を幸せにするために存在しなければならないという考え方に立ち、社会福祉や教育など公的な部分にたくさんお金をかける。
こうした社会では国民の経済格差はすくなくなり、貧困率は低くなる。市場が万能だとは考えず、経済は国民の福祉向上のためになければならないと考えられ、企業の社会的責任が重んじられる。そのため、犯罪も押さえられ、社会が安定する。
あくせくした競争よりも共生の精神が重んじられるので、人々はゆったりとした時間のなかで文化や伝統を重んじながら満ち足りて暮らすことができる。余暇を楽しみ、多くの人々は非営利的団体に所属し、海外協力のボランティア活動もさかんである。多くの市民が政治に参加し、マスメディアも政府をきびしくチェックする。
また、必然的に軍事支出が少なくなり、戦争志向性もほとんどない。自然保護や地球環境問題を重視し、そのための政策を実行する。こうしたことのため、税金が使われるのはやむをえないと考え、政府や公的組織の活動も容認する。そのため個人消費が押さえられ、社会消費が大きくなる傾向がある。
もうひとつは、アメリカを代表とする新自由主義的な国造りを目差す方向である。なによりも国民の自由な経済活動を重視し、さまざまな社会的な規制を撤廃し、国民を経済的に競わせることで、国家としても経済的に強者になろうとする。
共生よりも競争を重視するので、労働時間は長くなり、人々はゆったりとした時間の中で生きることができない。また生まれた環境や育った環境によって生じる経済的能力的な格差が、その後の人生を通してますます拡大する。
貧富の格差は大きく、経済的弱者が大量生産されるなか、莫大な富が一部の人たちに集中し、貧困率が異常に高くなる。政府はこれを是正するために特別の政策を実施することはすべきでないと考えられている。経済的に恵まれないのは、基本的に努力が足りないからであり、自己責任だとみなされる。
連帯や友愛といった社会的な価値よりも、経済的な利潤や効率が優先し、やさしさよりも強者であることが尊ばれる。世界と協調するよりも世界を支配し、利益を最大化するために市場を拡大したいと考え、そのために強力な軍隊を持ち、国家は常に臨戦体制におかれる。
そのための支出が多いので、「小さな政府」を標榜しながら、国家予算の規模は厖大なものになり、環境問題を放置し、社会福祉を切りつめても、財政赤字は解消しない。そのため国債を多量に発行し、これを他国の政府や企業・団体に買わせてつじつまをあわせている。
さて、こうした世界の二つの流れについて、皆さんはどちらが優れていると考えるだろうか。私は社会民主主義的な国家を志向したいと考えるのだが、残念ながら、政治家の多くも、官僚も経済界も、新自由主義的な国造りこそ理想だと考えている。
能力もあり経済力もある日本のエリートにとって、自己責任に立脚した市場万能の新自由主義国家は、とても魅力的に見えるのだろう。しかし、アメリカのエリートたちが、それほど幸せかどうか、大いに疑問がある。日本のエリートの中にも、ほんとうのエリートの名にふさわしい人たちは、このことに気付いている。
ましてや、エリートでもない多くの庶民が、新自由主義的な弱肉強食の社会を望む理由はなにもない。小泉政権の掲げる「構造改革」がどういうものか、これによってもたらされる社会がどんなに殺伐なものかを理解したら、真っ青になるに違いない。日本の庶民がこうした自らを不幸にする政策を支持する理由はどこにもない。日本のマスコミはこの真実をいつまで国民に隠し通すつもりだろうか。
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