橋本裕の日記
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2005年07月26日(火) 脱企業社会のすすめ

 数日前の新聞に、日本でもLLP(リミテッド・ライアビリティー・パートナーシップ=事業組合)がいよいよ解禁されるとあった。特定の人が資金を出し合って組合を作り、それらの人が直接日常の経営に当たるLLPは、投資家から多額の資金を調達することはできなないが、そのかわり買収されたりすることもない。

 まさに組合員による組合員のための経営ができるわけだ。自分たちの経営理念にしたがって、自由に企業活動をしたい人々は、株式上場による利益は棄てても、こちらのほうがやりがいがあるし、メリットもある。とくに知的産業には向いているということで、英国などでは、こうした組合組織の数が、すでに1万件を越えているという。

 これとよく似たものに生活協同組合がある。これもヨーロッパを中心に発展してきた。内橋克人さんは、「尊敬おく能わざる企業」(光文社)のなかで、こう述べている。

<率直にいって、企業はなくても地球は生きていける。人類は生きていける。いうまでもなく現代市民もまた平然と生きていける。後述するように、地球環境や市民社会に敵対する企業に対して、市民がもっとも厳しい対決姿勢をとり、企業を追いつめているのはヨーロッパ諸国である。

 それはなぜか、といえば、ヨーロッパには長い生活協同組合の歴史があるからであり、人びとは少なくとも自分自身の生活についてのヘゲモニー(取捨選択の権利)は絶対に私企業に譲り渡してはいない、という確固たる信念とともに生活しているからである。

 そこでは、私的利潤追求を行動の動機とする企業に代わって、構成員の「最大多数の最大幸福」追求を理念とすることのできる協同組合組織が厳として存在し、生活者の日常的ニーズに応え、真の意味で「地球にやさしく」ありうるゴーイング・コンサーン(渦巻きのように自力で存在し、存在するだけで意味を持ちうる集団)として活動しているからだ。

 彼らヨーロッパの市民は、自主・自立・自律の精神を生活の場で堅持しつつ、時に応じて企業を、また時に応じて生活協同組合を主体的に選択して生活する。だから企業をして絶対不可欠の存在とみなすこともない>

 日本にも生活協同組合はあるが、ヨーロッパほどの基盤を市民生活の中に築いているとはいえない。しかし、非営利組織や事業体は市民権を確立し、日本でもいまや多くの人々がこれに係わるようになってきている。

 こうした地道な活動を通して、市民意識もヨーロッパなみに培われていけば、企業を絶対視し、これに依存しようという意識もかわっていく。企業が株主主権主義をふりかざし、その営利目的だけでつきすすめば、やがて市民はこれを見放すだろう。

 企業を質の良い社会の公器にしていくためにも、内橋克人さんがいうように、「企業とは何か」ということを根本的に捕らえ直し、「企業は永遠なり」という命題そのものを、疑ってみることが必要かも知れない。


橋本裕 |MAILHomePage

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