橋本裕の日記
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2005年07月24日(日) アメリカ社会の底辺

 もう4,5年前だが、アメリカにホームステイしたある日本人女子大生のMLをたのしみに読んでいた。アメリカのどのあたりだったのか、詳しい記憶は定かではない。南部の地方都市ではなかったと思う。

 他の日本人女子大生たちが裕福な白人の家庭に迎えられるなかで、彼女がホームステイした先は、ヒスパニック系移民のまずしい家庭だった。彼女は自分だけがとんでもない貧乏くじを引かされたようで腹が立った。

 MLを始めたのもその不満をぶつけるためではないかと思われるくらい、欲求不満のかたまりのような内容である。たとえばその家には小さな子供がいて、夫婦は当然のようにその世話を彼女に押しつけてくる。これではベビーシッタ−と変わらない。労働の搾取ではないのか。

 英語を勉強したいのに家の中では英語が話されるのを聞いたことがない。これでは何のためのホームステイかわからない。しかも食事の貧しいこと。子供と相部屋なので、プライバシーもない。お風呂さえ満足に入れない。こうして毎日どんどん心理的に追いつめられていく。

 家族と外出しても、不快なことの連続。たとえばバスに乗って家族と一緒に坐っていると、あとから乗ってきた白人が、「おまえたちはあっちにいけ」と席を追い立てる。レストランへいってもひどい差別で、うっかりトイレも使えない。

 一方、リッチな白人の家にホームステイした友人達は、どこへ行っても最高のサービスをうけ、「アメリカは最高!」と言っている。アメリカはひどいところだと言っても、「まあ、そんなひとたちもいるでしょうけど」でおしまい。

 こうしていやでいやでたまらなかった、何ヶ月かのホームステイが終わり、ようやく地獄から解放される日がきた。ところがその日が来てみると、別れるのがとてもつらい。子供たちもみんな泣いて彼女をはなそうとしない。夫婦も泣いている。そのうち彼女まで泣けてきた。

 結局、彼女はこの貧しい家庭にホームステイできたことをよかったと考えるようになった。自分が本当に何か貴重な体験をして、生まれかわったように感じたからだ。アメリカに来て、ほんとうの友人が出来たと思った。これは彼女自身にも、彼女のMLを読んでいた私にも意外な、しかしとても感動的な結末だった。

 そして彼女は今はっきりと理解した。世の中の多くの人々が好きで貧乏をやっているわけではない。好きで差別されているわけでもない。そこには社会の矛盾があり、学ばなければならない「歴史」があることを。彼女はこうして語学よりももっと大切なことを、この家族から学んだわけだ。

 私は今もアメリカ在住の高名な作家のMLを楽しみに読んでいるが、彼女のMLほど心に迫る実感はない。同じアメリカ社会に身を置いていても、やはりその境遇によって体験のレベルがずいぶん違う。人生の真実に通じるには、ときには底辺に身を置いてみることも必要なのだろう。

 世の中は上から見るのと、下から見るのとではずいぶん違って見える。その意味で、彼女は貴重な体験をしたわけだ。彼女のMLを保存しておかなかったのが悔やまれる。これはこのまま一冊の本にして出版しても、上質のアメリカ体験記になるのではないかと思う。

 私も将来ホームステイしたいと思っているが、どんな家庭に迎えられることになるか不安だった。しかし、このMLを読んだおかげで、たとえどんな家庭に迎えられても、それもまた一つの貴重な体験であり、自分を成長させるためのチャンスではないかと考えられるようになった。


橋本裕 |MAILHomePage

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