橋本裕の日記
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人間が生きていく上で、一番大切なものは何か。私はそれは「倫理」だと思っている。倫理はその人の背骨であるだけではない。国家も又、倫理をもたなければならない。国家が国家としてどれだけ立派かということは、その国がどれだけ倫理を持っているかということである。
最近、孟子や陽明学の本を色々と読んでみて感じたことは、儒教の倫理のすばらしさである。とくに王陽明、中江藤樹、熊沢蕃山には感心した。こうした人物についてこの歳までほとんど知らなかったことが悔やまれる。
これまでの私は儒教よりも仏教に多くの興味と関心をいだいてきた。高校時代に親鸞にであって、「歎異抄」のすばらしさに感嘆したことがはじまりで、道元、日蓮、一遍、良寛に興味を覚え、その思想のすばらしさに、強くこころを奪われたものだ。
こうした先達を讃仰する思いはいまも変わりがない。しかし、今日の仏教には私はほとんど関心がもてなかった。仏教は世俗宗教になり、江戸時代にすっかり堕落してしまったというのが、私の基本的認識である。こうした認識は良寛も持っていたらしく、彼は漢詩の中でこの堕落をなげき、涙を流している。
一口でいえば、仏教は倫理を失ったのである。仏教の第一の戒は「殺すなかれ」である。釈迦は生命のはぐくまれる雨季に命を虐げてはならないという理由で、托鉢さえ慎むように言った。ここから雨安居という美しい言葉さえ生まれ、俳句の季語にもなった。
梅原猛さんも昨日の朝日新聞に、「道徳を忘れた仏教」(反時代的密語)と題して、仏教の倫理性の欠如を批判している。すこし引用してみよう。
<果たして仏教の復活は可能であるか。この問いに対して、私は残念ながら否と答えたい。現代の仏教は道徳を忘れているからである。・・・道徳をもっているがゆえに宗教はつい最近まで繁栄を続けたのである。道徳を失った宗教は滅びざるをえない>
<明治以来、仏教がすぐれた教えであることを説いた人は多いが、仏教道徳をしっかり己の身につけ、それを守ることの重要さを説いた人は少ない>
<今や仏教者はほとんど俗人と変わりのない生活をしていて、仏教者が俗人よりはるかに高い道徳を持っているとはなかなかいえない。このような状況の中で仏教者が自己の道徳に自信を持ち得ず、道徳を語らなくなったのは当然であろう>
<このことは特に十善戒の第一の不殺生戒においていちじるしい。・・・戦前の日本は軍国主義への道をひたすら走り、戦後の日本は自然を壊して日本列島を改造し、経済大国になった。明治以後の日本人はもっぱら不殺生戒に反して生きてきたのである>
<今、日本の道徳は衰え、このままでは日本は精神的に再び亡国への道を行かざるを得ないと憂えているのは私一人ではあるまい。仏教者は仏教がすぐれた教えであることを語る前に、まず自らの生活において十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践しているかを心に深く問うべきではないかと思う>
「安心立命」を説き、「現世利益」を説く仏教の本がよく売れている。しかし、そうした本を読んでみても、道徳や倫理は身に着かない。仏教さえもが「利」ばかりを説き、さらには葬式仏教となって金儲けの手段になっている現状をみるとき、私の心はますます仏教から離れていく。
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