橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
昨日、近所の書店に行って、数冊の本を立ち読みした。そのなかの一冊に、「会社はだれのものか」(岩井克人著。平凡社)があった。岩井 克人 といえば東京大学で学部長をつとめた人で、これまでも「資本主義を語る」「貨幣論」など質の高い著作を書いている。
いまはやりの米国流「株主主権論」にたいする鋭利な批判はいつもながら胸のすく思いで読んだ。買おうかと思ったが、蔵書0冊を目差して整理中の私は、買うのは止めて、そのかわりその内容を頭の中に刻みつけた。いずれ図書館にでも行って、探してみよう。
会社は「株主」と「経営者」「従業員」「顧客」でできている。このなかから「株主」をとりだし、これに全権を与えるのは、これまでの長い労働運動の成果をも考慮しない暴論である。しかし民主主義が後退し、軍事的経済的帝国主義が台頭するアメリカで、こうした暴論がいつのまにかまかり通るようになり、しかもこれが国家戦略としてグローバル・スタンダードという名前で全世界に押しつけられようとしている。
「会社はだれのものか」という問いかけに、岩井克人さんは「会社は株主のものではない。社会のものである」と明解に答えている。少し前までは、これが世界の常識だった。しかもこの常識は、産業革命以来の労働運動の成果として勝ち取られてきたものである。
この歴史を捨象して、労働者の権利を否定し、資本の論理だけで構築されたのが「株主主権論」という屁理屈である。こんなものがグローバル・スタンダードとしてもてはやされるのは、もはやこの世界が正気をうしないつつある証拠だといえる。
ところで、今日の書きたいのは「会社とはだれのものか」ではなく、「国家はだれのものか」である。絶対君主制では「朕は国家なり」のことばのとおり、「国は王様のもの」だった。朱子学でも国家は君主のものだという説である。
これに対して、孟子は「民は貴し」という発想に立ち、「国は民のためにある」という姿勢を明確に打ち出した。江戸時代を通して、こうした思想が武士や庶民にまでひろがり、明治維新につながる背景となっていく。
勿論幕府はこれを弾圧した。とうじ学者としても経世家としてももっとも人望の高かった熊沢蕃山は捕らえられて、幽閉されたまま生涯をおえている。朱子学を官学とし、幕府の学問所や各藩の藩校ではこれ以外を教えることを禁じた。だから、高杉晋作などは藩校にかよいながら、吉田松陰の私塾に通い、孟子や陽明学の勉強をしたわけだ。
しかし、幕府を瓦解させた思想的背景として、じつは朱子学そのものも大きな役割を果たした。なぜなら、朱子学は主君に忠誠を尽くせと説いているが、それではその主君とはだれかといえば、藩主であり将軍であるが、実はその上に天皇がいる。
朱子学の論理を徹底すれば、「日本国は天皇のものである」というところに行き着く。幕府が政治を行うのは、天皇からその統治権を将軍に委託されたからである。もし、幕府が統治能力を失えば、とうぜんこの権力は天皇に帰すべきだ。じつは朱子学そのものがこうしたラジカルな倒幕思想に変貌する可能性を秘めていたわけだ。
ペリーの黒船艦隊の二度にわたる襲来によって、幕府の統治能力が疑われると、この朱子学の倒幕思想が一気に牙を剥いて幕府に襲いかかった。こうして幕府は人民統治の手段として仕掛けたイデオロギーによって、皮肉にもトドメを刺されることになった。
こうした思想のダイナミズムを発見し、これをもっとも有効に「孟子」の民本思想と融合させたのが吉田松陰の「一君万民」思想だった。これは天皇だけを貴しとし、その他をおなじく万民とかんがえて平等視する思想である。こうした松陰の思想が、やがて彼の門下生によって実現される。それが現在にまでいたる「象徴天皇制」だと思えばよい。
|