橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
江戸時代の「藩」はひと昔前までは「会社」にたとえられ、サラリーマン武士道などという本が出たりした。まさに忠臣蔵の登場人物のように、会社に忠誠を誓い、滅私奉公する社員がいたわけだ。
西洋社会はこうした会社人間は理解しがたい存在だったらしく、エコノミック・アニマルなどと呼んだりしていた。しかし、チップなどもらわなくても、サービスに手抜きをしないのは、日本人くらいだといわれた。収入だけではなく、愛社精神から働く人がかなりいた。
ところが、「痛みを伴う構造改革」とやらでリストラがはじまり、終身雇用制などの日本的システムもあやうくなって、この数年でずいぶんサラリーマンの意識もかわってきたようだ。会社は従業員のものではなく、「社員」とは「株主」のことだなどといわれ、帰属意識や忠誠心が弱まってきたように思われる。
たとえば朝日新聞が紹介している米ギャラップ社の世論調査によると、会社に対して帰属意識が大いにあると答えた日本人会社員は9パーセントで、これは調査した14ケ国で最低だそうだ。ちなみにアメリカは29パーセント、イギリスでも19パーセントある。
反対に、帰属意識がまったくないというのは、日本はフランスの31パーセントに続いて多く、24パーセントもある。ギャラップ社の分析によると、「米国は不満があれば転職する。日本は相当我慢をしているのではないか」ということだ。
日本の会社の強みは「和」や「忠誠心」にあった。世界の非常識といわれる「単身赴任」にも異を唱えず、「社畜」とか「会社人間」と呼ばれて、その行きすぎが批判されたこともあったが、いまは帰属意識も薄れて、たんに地位の喪失やリストラの不安から奴隷労働をがまんしているだけの人も多いのだろう。日本の企業もそこに働く社員の意識も、変わってきているようだ。
私は公立学校の職員だが、現在の職場に帰属意識があるかと聞かれれば「イエス」と答える。「じぶんは○○学校の教員である」という意識はあるし、職場をよくしたいという意識も持っている。これはもちろん、リストラの不安からではない。まっとうな職業意識からそう考えるのである。
しかし、これまで経験した学校には、職場の環境が自分の志とはあわず、帰属意識がもちにくい職場もあった。「自分はどうしてこんな職場で働いているのだろう」と真剣に悩み、教員をやめようと思ったこともある。そのあたりのことは、「何でも研究室」の「日の丸の好きな県立高校」にくわしく書いたとおりだ。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/koukou.htm
そうしたときにおなじ質問を受けたら、「帰属意識はありません」と答えていたに違いない。ただ公立高校の教員のいいところは、比較的容易に転勤ができることだ。自分にあわない職場は自分で見切りをつけて転職願いを出すことができる。
今の定時制の職場は14年振り、二度目になるが、とても満足している。自分の仕事にやりがいが持てれば、しぜんと職場や学校をよくするためにがんばろうという気持になる。
これは会社の場合でもおなじだろう。一つの会社でじっと我慢をしなくてすむような、転職の自由を保障する開かれた労働市場があれば、自分にあった会社に就職する可能性もふえる。資本の自由化が進むなかで、こうした労働の自由もまた同時に進行しなければ、フェアだとはいえない。
|