橋本裕の日記
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2005年07月13日(水) 雨安吾

 毎朝、散歩をしている。雨の日は傘を差してあるく。6時までに日記を書き終えて、それから歩くのだが、それでも最近はかなり温度が高い。家に帰る頃には少し汗ばんでいる。

 最近困っていることは、道に生き物の姿が多くなったことだ。とくに小さなカエルがたくさん跳びはねている。歩いていると、踏みつぶしそうになる。じっさいに車や人の足で潰された死骸がいやでも目につく。これはいやな気持だ。

 最近「解夏」という映画をDVDでみて、「雨安吾」という言葉を覚えた。インドの陰暦4月から7月は雨季であり、このころに、虫の卵や草の芽が生じる。この季節に外を出歩くといやがうえでもこれを踏みつけ殺生してしまう。

 そこで僧たちはこの夏の90日間は托鉢に出ることをやめ、庵で共同生活をしながら、お互いに犯した罪を懺悔し、よりよい生をもとめて修行することにしたのだという。これが「雨安吾(あめあんご)」とよばれるものの始まりだそうだ。そして「雨安吾」であつまった僧たちの「庵」が、やがて「寺」になったのだという。

「雨安吾」のはじまりを 結夏(けつげ、陰暦4月16日、太陽暦5月27日)といい、その終わりを「解夏」(げげ、げか、陰暦7月15日、太陽暦の8月23日)という。「解夏」とは僧たちが再び托鉢を始める日である。映画では主人公の青年が完全に視力を失う日を、「解夏」にかさねている。ここから主人公の新しい人生が始まるわけだ。

 映画の中に、「もし、自分が失明するとしたら、最後に見たいものはなんですか?」という問いかけがあった。主人公にとって、それは愛する人の笑顔だった。彼は彼女の顔を見るために、視力の衰えた不自由な体で、長崎から東京に出ていく。

 そして彼女の笑顔をその眼底にやきつけて、視力を失うわけだ。主人公の青年がこの世で最後に見たものが、恋人の笑顔だったというのは救いである。

 主人公が視力を失う原因なったベーチェット病は、いまだに原因不明の難病だという。病気の特徴として、全身のさまざまな臓器や組織に炎症を繰り返す。そして眼底に炎症を起こして視力を失う人も多い。日本では約20,000人の患者がいるらしいが、こうした難病が存在することを初めて知った。

 視力を失うと、人間は暗黒の世界に身を置くのだろうか。じつはそうではなく、乳白色の霧のかかったような薄明の世界に生きることになるらしい。盲人の世界がただの闇ではないことも、私には救いのように思われた。

 雨安吾 庭のカエルも ひとやすみ  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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