橋本裕の日記
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2005年07月01日(金) 森を守った人々

 私は日本という国の最大の宝物は、この豊かな自然だと思っている。世界第二位の経済大国である日本で、これだけの森林が残されているのは、世界の奇跡だといってよいだろう。しかし、実は日本の森林は何度もあぶない目にあっている。

 江戸幕府が倒れ、明治の文明開化が始まったときがそうだった。明治政府は神社合祀令を出して、多くの神社をつぶした。これによって、神社がもっていた鎮守の森が次々と破壊されていった。役人と結託して材木を売り、一儲けする商人があらわれた。

 これを鋭く批判したのが、生物学者の南方熊楠(1867〜1941)だった。彼は白井光太郎に宛てて書いた1912年3月9日の手紙のなかで、こう述べている。

<千百年を経てようやく長ぜし神林巨樹は、一度伐らば億万金を費やすもたちまち再生せず。熊澤蕃山の集義和書に、神林伐られ水涸れて神威尽く、人心乱離して騒動絶えず、数百年して乱世中人が木を伐るひまなきゆえ、また林木成長して神威も暢るころ世は太平となる、といえり。

 やむを得ぬことといわばそれまでなれど、今何のやむを得なきこともなきに、求めて神林を濫伐せしめ、さて神林再び長じ神威人心の復帰するまで、たとい乱世とならずとも数百年を待たねばならぬとあっては、当局者の再考を要する場合ならずや>

 こうした南方熊楠の熱意が、柳田国男などの知識人や国会を動かし、明治政府は神社合祀令を廃し、一転して森林保護の政策を江戸幕府から引き継ぐようになった。そのくわしい経緯は日記に連載し、「何でも研究室」の「南方熊楠入門」としてまとめた。

 http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/minakatsa.htm

 南方熊楠は日本で最初に「エコロジー」という言葉を使った生物学者だ。しかし、彼のエコロジーに思想の背景には、東洋的な自然崇拝が濃厚である。それは、彼がこの手紙の中で熊澤蕃山の文章を引用していることでもわかる。

 実は南方熊楠の前に、森林を守れと叫んだエコロジーの先覚者がいる。それが熊澤蕃山だった。山を愛した蕃山の農本思想とその実践が、江戸幕府の森林保護政策に大きな影響を与えたことが分かっている。

 熊澤蕃山といえば、中江藤樹のあとを継いだ陽明学者として有名だが、彼は備前岡山藩の3000石取りの執政でもあった。岡山藩主の池田光政は彼を重用したが、幕閣にも彼の崇拝者がいた。あしたの日記で、日本の森林を守った経世家としての熊澤蕃山を紹介しよう。


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