橋本裕の日記
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2005年06月29日(水) 愚政から生まれた民営化

 精神的疾患などで休職中の労働者は全国平均で全体の1パーセントにのぼっているという。また、40歳から50歳の働き盛りの男性の自殺率が異常に高くなっている。過労死もいつか国際語になったが、これもいぜん多い。

 失業率が改善されているというが、これも統計の取り方でかなり幅がある。いまはやりのニートなどは失業に入らない。もはや求職をあきらめてハローワークに足を運ばなくなった私の妻も、もちろん失業者の数に入らない。こうした未就職者まで含めれば日本の失業率は20パーセントに達するという学者もいる。

 こうした問題を放置して、世間は「民営化」や「効率化」ばかりを議論している。私は民営にすれば効率があがるというのも、たんなる思いこみか神話にすぎないと思っている。テレビや新聞で構造改革推進派の評論家がしきりにいうので、みんな洗脳されてそう思い込んでいるだけだ。

 たしかに官にもたくさん問題がある。公共事業で余計なものをたくさんつくり、不良債権をつくりだした特殊法人のあり方は改革されなければならない。特殊法人がかかえる不良債権は30兆をこえる。民間の企業なら倒産して当然だ。

 バブルの時代にはアメリカの圧力で黒字へらしのために、バブルが崩壊した後は景気対策として、特殊法人は無駄な公共投資を行い続けた。このころ、私の周囲でも土地成金がごろごろ出た。

 わが家でも10数年前にマイホームを買った頃、妻の実家から、田んぼをちょこっと売れば5000万円できるので、援助しようかと打診があった。そのころ、私の実家でも道路のインターができそうなので、数億円はいるといわれたものだ。

 この頃民間企業はあまったお金で土地を買い占めていた。お金がない企業も、銀行から借りて不動産や株を買いあさった。日本ばかりではなく、アメリカの不動産や会社も買い占めた。しかしバブルがはじけると、これが不良債権化した。外国に投資された何十兆円というお金も、結局みんな消えてなくなった。

 民間企業は何十兆円という不良債権をかかえ、結局、巨大な公的資金を投入して救済された。救済されたあと、二束三文で外資に売られたものもある。売られないまでも、現在日本の企業や銀行はかなりの資本を外資に握られている。

 民間が効率がよいというのは、こうした歴史的事実をみればあきらかに間違いである。現在でも民間の設備の駆動率は75パーセントだ。つまり、人間のように首切りが出来ないので、施設の1/4は遊んでいる。(これはある意味で経済の必然で、一概に非難すべきことではないという人もいる)

 そのうえ、環境問題に象徴されるように、局所的な効率は全体からみると非効率ということがよくある。だから、あまり視野狭窄にならないで、もうすこし広い視野から、本質的にものごとを眺める必要がある。

 これまで日本ではどちらかというと「官」が「民」の上に置かれてきた。「官」には「民」を下に見るエリート意識があった。民にまかせておいたら何をするか知れないという不信があり、これを監督・指導しなければならないという強迫観念がつよかった。

 民もまたこれに阿り、さまざまなお追従をした。民がその武器にしたのは「接待」や「天下り」をはじめとする様々な利権の供与だ。これに対する官の側のガードが甘かった。これだからダメなのだと民間をバカにしながら、官も「ノーパン・シャブシャブ」などにはまり込んで行った。こうして癒着体質が深まった。

 おなじ官のなかでも、中央は地方を見下していた。地方は能力がなく、監督指導しなければ大変なことになるという地方不信が強い。地方も学歴の高い中央官僚に頭があがらず、阿ることになる。そして「官官接待」が横行した。

 「お上がえらい」という発展途上国なみの旧弊な封建的体質が日本には残っている。中央と地方が対等な立場に立ち、官と民が対等な立場で相互に批判し、協力しあえる体制にはなっていない。

 たいせつなのは、官と民が癒着することでもなく、といってお互いの非効率を責めてたてて非難し合うことでもない。癒着でも非難でもなく、健全な批判精神をもちながら、お互いに相手を信頼して協力し合うことだ。

 上下関係を残した封建的体制のなかでの中での民営化には、いろいろなゆがみがともなう。現在の民営化は、政府の仕事を民間に下請けさせようというものだ。しかし、民間にある封建的な下請け制度をそのまま持ち込んで、経費を削減すればよいということではいけない。

 愛知県は全国一失業率が少ない県だ。トヨタなどの自動車関連の会社ががんばって、不況の中でも雇用を維持しきた。しかしその背景には、下請け企業の犠牲があった。一兆円の利益をあげ、日本を代表する企業となったトヨタは、生産至上主義ではなく、社会貢献などの面でも、リーダー的な存在であってほしい。

 なお「年次改革要望書」で日本に執拗に民営化を求めるアメリカをはじめとして、そもそも外国で民営化が成功しているのかどうかについても、おおいに疑問である。掲示板にセルジオ越前さんが岩國哲人さんの文章を紹介してくださったので、最後にこれを引用しよう。

−−−−−−民営化は愚政の極み−−−−−−−−

 公社は既に独立採算制を採用しており、職員の給与も郵政事業の収入の中から支弁されていて、税金も一切使われていない。

 郵業は拡大、郵貯は縮小。公営を堅持し、地方の郵便局を行政、防災、福祉のサービス・センターとして活用する。公営だからこそ、国民という株主を代表して国会が公社の経営に関与できる。民営化すれば、国会はもはや民間会社の経営には干渉することができなくなる。

 現に、民営化先進国の結果を見れば民営化の愚かさがよく分かるだろう。イギリス、ドイツ、イタリア、スウェーデンは民営化を唱えて株式会社にしながら、株式の過半数または全部を政府が保有しているという奇妙な「国有株式会社」のままで、郵便業務も依然として独占。

 結局はごまかしの民営化でチャッカリ国営を継続。ニュージーランドでは他国に先がけて民営化を徹底実行した結果、外資に買収されてしまって国営会社を再び設立するというウッカリぶり。

 これだけのお手本に恵まれながら日本がなぜウッカリ、チャッカリ、ガッカリの轍(てつ)を踏もうとするのだろうか。国益を損ない、サービスを低下させ、さらなる国民負担を招き、分社化して役人の天下りポストだけが増える。「ポストが増えて、ポスト・オフィスが減る」。

 民営化を日本に迫る世界最大の郵便国アメリカはどうしているか。改革法案を二度も米国議会で廃案とし、ついに二〇〇三年七月三十一日の大統領への報告のなかで、郵便事業は公営で継続すべきと断定して、依然として国営堅持のままである。

 アメリカはチャッカリ、日本は名バッカリ。これを愚政と言わずして何と言おうか。(岩國哲人、衆議院議員、元出雲市長)

−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−−


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