橋本裕の日記
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2005年06月28日(火) 国立追悼施設を沖縄に

 私は戦争犠牲者の追悼施設としては沖縄にある「平和の礎(いしじ)」のようなものが理想的ではないかと思っている。靖国神社は「天皇に命を捧げた」人だけを祀っているのに対し、1995年に沖縄戦の最後の激戦地であった摩文仁の丘に建てられた「平和の礎」は、軍人、住民、敵味方の区別さえなく、アメリカ兵を含む全ての犠牲者を追悼している。

 ここに刻まれた名前は、23万9801人だという。そのうち、沖縄の人は14万8702人である。残りには1万4008人の米国人、82人の英国人、34人の台湾人、344人の韓国人、82人の北朝鮮人がふくまれる。

 ここなら、日本の首相や天皇ばかりでなく、侵略戦争の犠牲になったアジアの諸国の元首や、敵国の元首も何等抵抗もなく訪れることができる。現に沖縄サミットではかつての敵国であったアメリカのクリントンの大統領が訪れた。

 私は靖国神社も訪れたが、元陸軍兵士だった野中広務氏(元自民党幹事長)も、「現在の靖国の姿は、敗戦を経たのにもかかわらず、清算されておらず、戦争賛美という点で変わっていない」と批判しているとおり、そこは独特のイデオロギーの感じられる祭祀的閉鎖空間だった。

 沖縄の「平和の礎」はこれとまったくちがっている。人々は石碑に刻まれた犠牲者の名前を見つめながら、手を合わせたり、十字を切ったり、それぞれ思い思いの方法で追悼の儀式を行い、青い海や空を眺め、海鳥の声を聞きながら、平和を願うことができる。

 この「平和の礎」が建てられたときの沖縄県知事は、鉄血勤皇隊の生き残りの大田昌秀氏だ。太田さんは、小泉首相の靖国参拝を、次のように批判している。

<「国のために死んだ人を思って何が悪いか」と言うが、犠牲を受けた東南アジアの人々の心を思いやれないのか。良くなった日韓、日中関係がまた振り出しに戻ることが懸念され、一国の首相としてすべきではない>

「平和への祈念」と「戦争の美化」ではその志向する方向が180度ちがっている。戦争も上から見るのと、下から見るのとでは解釈も現実も何から何まで違って見えるのだろう。

「官」や「お上」の立場ではなく、「民」の立場に立った歴史認識が大切だ。その原点となるべき「民」のための追悼施設が、沖縄にある「ひめゆり平和祈念資料館」であり、「平和の礎」である。国立の戦争犠牲者追悼施設を作るのなら、これを見習ってほしい。そして、沖縄に創ってほしい。


橋本裕 |MAILHomePage

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