橋本裕の日記
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18日(土)、NHK総合テレビで「終戦60年企画 沖縄よみがえる戦場 〜読谷村民2500人が語る地上戦〜」を見た。
昭和20年4月1日、米軍が上陸した読谷(よみたん)村では、犠牲者は、3000人を超えたという。生き残った人たちも、心の傷は深く、口が重い。
村民を置き去りにして姿を消した友軍。 「天皇陛下のために」ということで始まった凄惨な集団自決の様子。 長男を亡くした知花さんが、孫娘に初めて語るその真実・・・
一方では、やんばるの密林への逃避行でのおびただしい栄養失調死。そしてアメリカ軍に投降した人たちに夜襲をかける日本軍。スパイ容疑で虐殺される女や子供たち。
そのとき日本兵の手で父親を殺され、自分も手榴弾で血塗れになった当時4歳だった女性が、現場で同じ恐怖の体験をした女性と再会して、60年振りに苦しい胸の内を語り泣き崩れる姿。
彼女は忌まわしい記憶の残る沖縄を離れ、大阪で暮らしてきた。しかし、当時8歳で惨劇を体験し、精神を病んで40年も精神病院に入院している兄に会いに毎年沖縄に帰ってきた。だが、戦争のことは誰にも語らなかったという。惨劇のあとが今も顔に残り、少女時代はとくにつらかったという。
その彼女が、60年振りに、惨劇のあった浜を訪れた。女子供を三列に並ばせ、日本兵たちが一斉に手榴弾を投げたところだ。肉片が飛びちり、片足や首のない遺体が散乱したという。いまその浜に静かに日が降り注ぎ、波が寄せている。
女性がその浜に佇み、そして風に向かって、「おとうさん、おとうさん」と涙声で小さくつぶやく。その女性の後ろ姿が全てを語っていた。60年前の沖縄の悲劇が想像を絶するものだったことがよくわかった。
読谷村では、戦争に巻き込まれた村民の運命を後世に伝えるために、沖縄戦の体験者からの聞き取り調査を行い、14年がかりで2500人に及ぶ証言を集め、去年2000ページの戦時記録にまとめたという。その貴重な記録が、インターネットで公開されている。
「読谷村史編集室HP」 http://www.yomitan.jp/sonsi/
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