橋本裕の日記
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小泉首相の政治家としての本願は「郵政民営化」だという。それでは何故、「民営化」なのか。よく効率の問題がいわれるが、郵便事業が赤字でも郵便貯金と簡易保険を合わせた郵政公社の経営は黒字である。不良債権をかかえ、赤字体質の公社・法人が多い中で、郵政公社はよいほうの例外である。
サービスの点でも、国民にそれほど不満があるわけではない。むしろ民営化によって、郵便事業そのものの黒字化が志向されれば、現在の全国一律の郵便料金が見直されるなど、サービスの低下が懸念されている。
郵便貯金と簡易保険の総資産が350兆円もあり、これが増え続けているということは、国民がそれだけ郵政公社を頼りにしているということだろう。これをなくするということは、国民の要望からも離れている。
それでは、郵便貯金と簡易保険が民業を圧迫しているという指摘はどうだろう。たしかに多くの不良債権を抱え、市場の信用が低下している銀行に比べ、国の後ろ盾をもつ郵政公社は恵まれているように思われる。これが市場原理を歪めているという指摘は、いちおうもっともなように思われる。
しかしそもそもなぜ銀行が不良債権を抱えるようになったのか。それはバブル期にハイリスク・ハイリターンを狙って、無理な投資をしたからである。これが土地や株の高騰につながり、バブル経済を誘導した。民業圧迫だというが、そうした事態を招いた責任は銀行や保険会社にあることを忘れてはいけない。
国民の中には、ローリターンでもローリスクを志向する人もいる。そうした保守的で堅実な人たちの受け皿として郵便貯金と簡易保険があった。結果的にバブルが崩壊して、ハイリターンを狙った民業が沈下する中で、ローリスク・ローリターンの郵政公社が生き残ったということである。
郵便貯金と簡易保険の融資先は、6割が財政投融資、残りの4割が国債である。いずれもローリターン・ローリスクの代表だが、経済が落ち込み、株や土地の価格が下がり、金利が低下する中で、これがローリターンといえなくなった。今では銀行までが国債を買い、その利息をあてにする時代になっている。
そこで民営化が必要だという人たちは、最後の切り札として、財政投融資と国債の問題を出してくる。財政投融資の融資残高は今や400兆円にもなり、これは国家の一般会計予算80兆円の5倍にもなる。
政府はこれだけの金を道路関係4公団や住宅金融公庫 中小企業金融公庫などへ融資して、道路やダム、港湾、空港、住宅などの社会インフラ整備をしてきた。しかし、その運営はかなり非能率で、これらの公社はのきなみ赤字を抱え、不良債権化している。
政府の財政投融資の内容は見直されるべきである。現にこれらの公社の民営化や、むだな公共事業そのものの自粛という形で、その見直しは進んでいる。しかし、これがまだ十分とはいえない。そこで、いっその郵政公社そにものを民営化し、資金源を絶つべきではないかという議論がはじまったわけだ。
同様のことは国債にもあてはまる。わが国の国債発行残高700兆円にもなるが、そのうち郵貯・簡保から150兆円があてられている。国債をこれ以上増やさず、国の財政を健全化するためにも郵政の民営化が必要だというわけだ。
たしかに国債の発行残高を減らし、国の財政を健全化することは必要だが、小泉首相も結局年間の国債の発行を30兆円に抑えるという公約をはたせなかったように、これを郵政公社のせいにするのは無理がある。なぜならこれは政治姿勢の問題であり、財政政策の問題だからだ。たとえ民営化されても、国債が発行されれば、官民を問わず、これに協力しないわけにはいかないだろう。
こうして考えてくると、郵政の民営化論はどれも根拠があやしいことがわかるだろう。しかし、郵貯が約230兆円で民間の三大銀行グループの総資産の合計に匹敵し、簡保の総資産(総預かり資金)は125兆円で 生保大手5社の合計総資産よりも大きいというのは、やはりあまりにアンバランスである。
たとえこのアンバランスが、銀行や生保、それから政府の財政政策の失敗によるところが大きいといっても、もはや何らかの方法で是正すべきであることはまちがいない。ただその方法が、「郵政民営化」ということでよいのかということである。
民営化しても、すでにその資産は国債と財政投融資という形で各公団に貸し出されている。これを引き上げてしまうとどうなるのだろう。公団に貸し出されている資金は多くが不良債権化しているし、国債にしてもこれを売却することは現実問題として不可能なことである。民営化すればすべてが解決するというのは幻想に過ぎない。
私は民営化はいちがいに悪いことだとは思っていない。しかし、医療・福祉・教育・電気・水道・交通・郵政といった公共性の高い分野は、官と民の共存が望ましい。それぞれに一長一短があり、それぞれの特性を生かして、サービスを多様化させることが大切だと思っている。
官民格差があるとしたら是正すべきだが、これも感情論ではなく実態をふまえるべきだろう。「日本は、OECD諸国の中でも公務員をどのように定義しても、人口当たりの、あるいは雇用労働者に占める公務員の比率は最も低い」といわれている。たとえば、民営化の先進国アメリカに比べても、その数は半分以下だ。日本の公務員がとくに質が悪いということではない。むしろ国際比較すればトップクラスだろう。
たとえば、教員を例に取ろう。いまや先進国で40人学級の国は日本くらいのものだ。教員の割合が少なく、GDPにしめる教育予算の割合もはるかに少ないなかで、日本の学生の学力は常にトップレベルである。つまり、日本の教員の質は(大学をのぞいて)世界のトップレベルだ。日本の教員くらい、教育に熱心な良質な集団はいないということではないか。(自画自賛)
がんらい、公務員というのはローリスク・ローリターンの代表のようなものだった。収入の点からいっても、それほど恵まれていたわけではない。それがバブル崩壊後、経済全体の伸びが鈍り、民間のハイリスク・ハイリターンが抑制される中で、相対的に公務員の経済的地位が向上してきたわけだ。その意味で、郵政公社と民業との関係に似ている。
民営化問題には、さらに、もう一つ克服されなければならない重要な点がある。ライブドアによる企業買収の動きがあったが、現在のような日本の脆弱な経済体制のもとでは、郵政が民営化されればいずれその資金や資産の多くは外資の手に落ちるかもしれないという資本防衛上のリスク問題だ。
このリスクを無視できないことは、アメリカ資本が5割をこえるIMFや世界銀行が行ってきたことをみれば明らかだ。彼らがまず求めるのは「民営化」だ。これで国有財産のプロテクトを外す。次は、「資本の自由化」だ。これで外資が自由のその国の経済を支配できるようにする。そして「市場原理の貫徹」「貿易の規制緩和」と続き、グローバル化、すなわちアメリカ化が完了するわけだ。
これによって豊かな生活が保障されるのは、国民の1割り程度である。つまり、1割の裕福層のために、9割の庶民が割を見る社会が生まれることになる。それは現在のアメリカをみればいい。
日本は景気回復のために公共事業を使った。そして不要な施設をたくさん作った。しかし、アメリカの場合、日本の公共事業に相当するのが「戦争」である。アメリカは軍産複合体に支配されていて、戦争をしなければ経済が成り立たない。
大量に武器を輸出し、世界中に戦争や紛争を持ちこんでいるアメリカと、武器禁輸三原則を守り、国の内外に橋やダムや道路ばかりつくってきた日本とどちらがよいかと訊かれたら、私は平和な日本を選びたい。
とはいえ、私は現在の日本を支配する「政・官・業」の癒着を放置しておいてよいとは思わない。これを変えるための一つの手段として、税制もふくめた特殊法人の見直しは必要だろう。大切なことは、私たちがどのような社会を理想としているのかということだ。
そうした原点を大切にして、私たちは政治や経済に今何が必要かということを、もっと広い視野に立って、根本的に問い直してみることだ。郵政民営化も手段あり、目的ではない。何のための民営化かということを、政府は国民にしっかり説明すべきである。
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