橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年06月06日(月) 「追悼」から「顕彰」へ

 河野洋平衆議院議長が、「日中、日韓関係の急速な悪化は看過できない。大きな原因のひとつに首相の靖国参拝がある」として、海部、村山、宮沢、橋本、森の5人の元首相に呼びかけた。そして、「首相の靖国参拝は慎重な上にも慎重を重ねるべきだ」という意見で一致を見たという。

 中曽根元首相は「三権分立」の立場を考えて、河野さんの呼びかけには応じなかったものの、小泉首相の靖国参拝には反対で、次のように述べている。

「個人的信条よりも国家利益を考えてやめるべきだ。小泉君がもっと早い段階で国益を考えて自分はやめるといえば、やめぎわがよかった。やめる方が勇気を要するが、勇気あることをするのが政治家だ」

 首相の靖国神社参拝については、6/2の衆議院予算委員会でも質疑や答弁がおこなわれた。「朝日新聞」から発言を拾ってみよう。

 岡田民主党代表 「A級戦犯を昭和の受難者して合祀している靖国神社に首相は参拝すべきではない」

 志位共産党委員長 「侵略戦争を正当化する靖国神社の戦争観に日本政府の公認というお墨付きを与える」

 小泉首相 「首相の職務ではなく、私の信条から発する参拝に、他の国が干渉すべきではない。自分自身の判断で考える問題だ。A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意を表している。いつ行くかは適切に判断する」

 小泉首相は靖国神社は戦争でなくなった人々に敬意を表し、追悼するためのものだと主張している。小泉首相の靖国参拝を支持する人たちの靖国観も同じだろう。

 しかし、靖国神社はたんに「戦死者を追悼する」だけの施設ではない。むしろその本質は、戦死者を英霊として「顕彰」し、「賛美」するための機関だというところにある。高橋哲哉も「靖国問題」(ちくま新書)のなかで、この点を靖国問題の焦点だと考えて、次のように書いている。

<それは本質的に悲しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後につづくべき模範とすること、すなわち「顕彰」である。靖国神社はこの意味で、決して戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設であるといわねばならない>

 靖国神社は「追悼」施設として出発した。それが日清戦争直後あたりから、「顕彰」施設に変身した。高橋哲哉さんはその証拠として、1895年11月14日の「時事新報」に掲載された「戦死者の大祭典を挙行す可し」という論説を揚げている。孫引きしてみよう。

<不幸にして再び干戈の動くを見るに至らば、何者に以来して国を衛る可か。やはり夫の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざる可らざることなれば、益々此の精神を養ふこそ護国の要務にして、之を養ふには及ぶ限りの光栄を戦死者並びに遺族に与へて、以て戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめ可らず。・・・

 先般来、各地方に於いて戦死者の招魂祭を営みたれども、以て足れりとす可らず。更に一歩を進めて地を帝国の中心なる東京に卜して此に祭壇を築き、全国戦死者の遺族を招待して臨場の栄を得せしめ、恐れ多きことながら大元帥陛下自ら祭主と為らせ給ひ、文武百官を率いて場に臨ませられ、死者の勲功を賞し其英魂を慰するの勅語を下し賜はんこと、我が輩の大に願う所なり。・・・

 いま若し大元帥陛下自ら祭主と為せ給ひて非常の祭典を挙げ賜はんか、死者は地下に天恩の有難を謝し奉り、遺族は感泣して父兄の戦死を喜び、一般国民は万一事あらば君国の為に死せんことを冀ふ可し。多少の費用は惜しむに足らず。くれぐれも此盛典あらんことを希望するなり>

 この論説には「靖国神社」の文字が見当たらない。当時はまだこのような施設として「靖国」がとくに認識されていなかったせいだろう。ところが、政府の反応は早かった。この論説が出た1ヶ月後の12月16日から3日間にわたって、靖国神社で日清戦争の臨時大祭が行われ、二日目には明治天皇自らが靖国神社に参拝した。高橋哲哉さんは次のように書いている。

<こうして靖国神社は、次第にその権威を高め、日露戦争後には日本の戦没者祭祀の中心施設として決定的地位を確立していく。河上肇が日本の「国家教」の施設として靖国神社を挙げたのは、まさにこの時期のことだった>

 このことから、「時事新報」を主催していた福沢諭吉の変節をいう人がいる。しかし、この論説には署名がなく、諭吉の文章ではないという論もある。いずれにせよ、在野にあって政府を批判していた「時事新報」にして国民を扇動し、ファシズムに道を開くような論説を載せるところに、世論を先導するジャーナリズムのあやうさを感ぜざるを得ない。

 それでは、河上肇がいうところの「日本教」とは何だろうか。1911年、河上肇が「中央公論」に寄せた「日本独特の国家主義」という論文を、これもまた高橋哲哉さんの本から孫引きさせていただこう。

<日本は神国なり。国は即ち神なりということ。これ日本人一般の信仰なり。・・・人生の目的は即ち国家にあり。彼らは国家のために生き、国家のために死するを以て理想と為す。・・・

 既に国家主義は日本人の宗教たり。故に看よ、この国家主義に殉じたるものは神として祀らるるを。靖国神社はその一なり>

 戦争は「人殺し」である。これを聖戦といいくるめ、人々に塗炭の苦しみをもたらしたものの正体がこの国家主義信仰だった。靖国神社はその「国家神道」の中心的な実践施設だった。現代の国家主義者たちのあやしげな言動にまどわされないで、私たちはこの歴史の真実を見つめなければならない。

 高橋哲哉さんの「靖国問題」は論点が明確に整理されていて、これを読めば、靖国神社の本質が戦死者を「顕彰」し、国民を戦争へと動員する機関であることがわかる。日本の首相が靖国神社に参拝すべきでない理由もよくわかる。

(高橋哲哉さんの経歴)
 1956年に福島県生まれ。現在は東京大学大学院総合文化研究所教授。二十世紀西洋哲学が専門で、哲学者としての視点から、政治・社会、歴史の諸問題に鋭く迫り、その論理的で実証的な文章には定評がある。主な著作はつぎの通り。

「デリダ」(講談社)
「戦後責任論」(講談社学術文庫)
「教育と国家」(講談社現代新書)
「記憶のエチカ」(岩波書店)
「歴史/修正主義」(岩波書店)
「逆光のロゴス」(未来社)
「証言のポリティックス」(未来社)
「心と戦争」(晶文社)
「反・哲学入門」(白澤社)
「<物語>の廃墟から」(影書房)


橋本裕 |MAILHomePage

My追加