橋本裕の日記
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2005年06月07日(火) 死者を利用する人たち

 靖国神社の目的は、たんに戦没者の供養とか追悼ではなく、国の犠牲となって死んだ兵士達の英霊化と「顕彰」である。それではなぜ、国は死んだ兵士を「顕彰」するのか。それは彼らに続いて「国家」のために果敢に死地に赴く兵士をつくりだすためである。

 つまり、靖国神社の本質は、こうした戦争遂行機関であり、まさしくそのような機関として日露戦争以来機能し、大量の兵士達を大陸へと送り出してきた実績がある。そしてこの危険な本質は、戦後も変わっていない。

 ところで、これは日本独自のものだろうか。小泉首相は「死者を追悼するのは日本の文化です」というが、そんなことはない。戦死者を英霊として祀り、「顕彰」することは、軍隊を持つ近代国家であればどこの国でも行っていた。

 こうしたことは、古代ギリシャの都市国家でも行われていた。有名なペリクレスのペロポネソス戦争戦没者追悼演説の一節を、高橋哲哉さんの「靖国問題」から孫引しよう。

<かってこの壇に絶った弔辞者者の多くは、この賛辞を霊前のしきたりとして定めた古人をたたえている。戦いの強者らには、賛辞こそふさわしい。・・・

 我らは遠き先祖に与うべき賛辞を惜しまない。だがそれにもまさる高い賛辞をわれらの父にささげねばならぬ。われらの父は古き領土に加えて、営々辛苦して今日の支配圏を獲得し、これを今日のわれらに遺していった>

 このように、戦死者を英霊として讃えるのは、日本の独自の文化でも何でもなく、それは世界のどこの国でも広く行われていたことだ。現在でもアメリカには「アーリントン」があり、フランスには「無名戦士の墓」、イギリスにも「セノタフ」がある。そこでは「祖国のために死んだ戦士」をいずれも英雄として顕彰していた。ただし、こうしたヨーロッパの国々は、第一次大戦後は、戦争を冷静に反省して、この野蛮な習慣を控える方向にいった。

 ただ、ナチスドイツと日本は例外だった。ドイツのベルリンには「ノイエ・ヴァッヘ」という国立の戦争犠牲者追悼施設がある。これがナチス時代は「戦争のための戦没兵士顕彰施設」として大いに威力を発揮した。

 第一次大戦後、靖国神社もまたドイツのノイエ・ヴァッヘとならんで、戦没者の英霊化を最大限押し進め、あらたな戦争へと国民を動員して行くことに成功した。他の西洋諸国が英霊の賛美が平和の障害になると考えだしたとき、日本とドイツはこれをむしろ大々的に推進し加速させたわけだ。

 第二次大戦後、敗戦国となったドイツはこの時代錯誤に気付いた。ノイエ・ヴァッヘは現在、ドイツ人・非ドイツ人、軍人と民間人を問わず、ナチスの支配下で死んだすべての人々を「戦争と暴力支配の犠牲者」として追悼している。

 靖国神社がいまだに日本軍人・軍属のみを祀り、A級戦犯まで英霊として祀っているのに対して、ノイエ・ヴァッヘは、「自らの国が行った戦争を誤った戦争として否定し、その死者を英雄としてではなく犠牲者として哀悼する施設」として明確に位置づけられている。

 そして、ドイツの歴代大統領や首相は、「戦争責任は全ドイツ人が負うべきもので、ナチスだけの問題ではない」とはっきり発言している。この発言が、フランスやポーランドの人々の心を打った。ナチスに蹂躙された近隣諸国が、いまやドイツの最大の友好国として常任理事国入りを支持しているするまでになっているのは、こうしたドイツの誠実な姿勢のたまものである。

 日本はどうだろうか。そもそも日本には、戦死者を顕彰するような西洋流の伝統はなかった。日本にこの「伝統」が出来たのは、明治時代に入り、西洋諸国に対抗して近代国家を形成しようとしたときだった。

 それが証拠に、昔の日本では戦争で勝利した武将は、敵味方をとわず戦死者のための供養会をもよおし、碑を建てている。北条時宗が建立した円覚寺は文永・弘安の役の敵国の戦死者もまた同様に慰霊しているし、朝鮮半島に出兵した島津義弘は高野山に敵味方供養塔をたてた。

 小泉首相のように、あえて日本の伝統をもちだすなら、靖国神社もかくあるべきだろう。ところがそうはなっていない。いまは先進国の間ではすっかり時代錯誤になった近代軍事国家の野蛮な標準を、あたかも日本古来の文化だと偽って強行している。

 日本が守ろうとしているのは、日本の伝統ではなく、西洋流の時代遅れの国家主義の亡霊である。これでは日本はまだまだ狂気じみた「神の国」だと警戒されてもしかたがない。日本には日本古来のすばらしい「和」の伝統があるのに残念である。

それでは、なぜ、こうした時代遅れの亡霊がいまだに日本に棲みついているのだろう。それはこれを利用して自らの地位を築こうとするエゴイスト集団が存在するからだ。その頭領が、小泉首相を代表とする、日本の保守的な政治家たちである。彼らは死者の「追悼」に名前をかりて、実のところ、死者を「冒涜」している。


橋本裕 |MAILHomePage

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