橋本裕の日記
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2005年06月03日(金) 死刑囚のいきがい

 神谷美恵子さんの「生きがいについて」には、死刑囚の手記も引用されている。刑務所ではじめて「俳句」にめぐり会い、俳句の楽しさに心を開いた死刑囚の手記をいくつか孫引きしよう。出典は死刑囚に俳句を教えた北山河さんの『処刑前夜』らしい。

<私わことばや字をならいながら俳句お自分の友だちとおもいべんきょしています。俳句はさびしい私のきもちを一ばんよくしってくれる友だちです。俳句をならったおかげで蠅ともたのしくあそぶことができます。火取虫がぶんぶんと電とうのまわりをとんでいるのも私をなぐさめてくれるとおもうとうれしいです。運動じょの青葉にとまってちゅうちゅうないている雀もやねでくうくうないている鳩もみんな私の友だちです。つばくろよ鳩よ雀よさようなら>

<俳句に興味を持ってから、その日その日がみじかすぎて仕方がない。心もいきいきとしてきた。この身も心もぞくぞくうれしくはればれしい心境をば十分味わわせていただきつつ、ひとしお修養させていただいている>

<自由な世界での正月は、ともすれば享楽的な交際や遊びになりがちで、静かにものをみつめたり、自然を味わうというような気分には、なかなかなれないものです。私たちには信仰が、芸術が、俳句が、自然が与えられているのです。空の青さ、日の暖かさ、空気のすばらしさ、そして信仰や俳句を通して人の真実の情を静かに深く見つめ味わい、感謝のうちにしみとおらせることができます。・・・どのような境遇にある身分をも、他と少しの差別もなく、照らし、励まし、慰めてくれるもの、否、苦境にあればあるほど、いっそう生きがいを与えてくれるもの、これを私は最も愛し、感謝いたします>

 彼らは俳句を書くことで、現実の苦悩から少し離れることができた。そうすると、身近な鳥や蠅にさえ、なにやら生きている不思議さを覚え、おなじくこの地上に生きるもの同志としての連帯を覚えた。彼らは死に臨んで「生きがい」をようやく手に入れて、ささやかだが、満ち足りた思いで、最後の日々を生きることを得た。神谷さんは、こう書いている。

<ここにあらわれている心は、もはや自己の苦悩の泥沼のなかであえいでいる姿ではない。そこからぬけ出て、一歩も二歩もはなれたところから自己の悲しみも周囲の風物も眺め、そこにみられる風趣を味わい、たのしんでいる。花や虫と心をかよわせ、そこになつかしさとなぐさめを感じている。独房のこの囚人はもはや孤独ではない。もはや疎外されていないといえる>

 人はさまざまな理由で罪をおかす。場合によっては、人を殺すこともある。そうした人の多くは、社会から疎外されているという意識をもち、孤独である。しかし、そういう人も、「生きがい」を持てば人生が変わる。問題は刑務所にはいる前に、あるいは、自らの命を自らの手で絶つ前に、人はいかにして自らの生きがいに出合うかである。


橋本裕 |MAILHomePage

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