橋本裕の日記
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2005年06月02日(木) 死に向かい合う

 死を前にして、人は何を考えるのだろうか。神谷美恵子さんの「生きがいについて」には、「きけわだつみのこえ」(光文社)から、手記がいくつか引用されている。いずれも学徒として戦争に動員され、シンガポールの刑務所で戦犯刑死した青年のものだ。その中から二つを孫引きしよう。

<死の数日前偶然にこの書(田辺元著『哲学通論』(岩波全書))を手に入れた。死ぬまでにもう一度これを読んで死にたいと考えた。コンクリートの寝台の上ではるかな故郷、わが来し方を思いながら、死の影を浴びながら、数日後には断頭台の露と消える身ではあるが、私の情熱はやはり学の道にあったことを、最後にもう一度思い出すのである。この書に向かっていると、どこからともなく湧き出づる楽しさがある。・・・

 真の名著は何時どこにおいても、いかなる状態の人間にも、燃ゆるがごとき情熱と憩いとを与えてくれるものである。私はすべての目的欲求からはなれて、一息のもとにこの書を一読した。そしてさらにもう一読した。

 私にとっては死の前の読経にも比すべき感をあたえてくれた。かってのごとき野心的な学究への情熱に燃えた快味ではなくて、あらゆる形容詞を超越した、言葉ではとうていいい現わしえないすがすがしい感を与えてくれたのである。私はこの本を私の書かれざる遺言書として、何となく私というものを象徴してくれる最適の記念物として、後に遺す>

<私は死刑を宣告された。誰がこれを予測したであろう。年齢三十にならず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命。しかし、これも運命の命じるところであると知ったとき、最後の諦念が湧いてきた。大きな歴史の転換のもとには、私のような陰の犠牲がいかに多くあったかを、過去の歴史に照らして知るとき、まったく無意味のように見える私の死も、大きな世界史の命じるところと感知するのである。

 日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてしてきた数かぎりない無理非道を考えるとき、彼らの怒るのは全く当然なのである。今、私は世界人類の気晴らしの一つとして死んでいくのである。これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。それは将来の日本の幸福の種を遺すことなのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死にきれないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば、腹も立たない。笑って死んでいける>

 エピクテトスに、「哲学者はたとえ断頭台のうえでも幸福である」という言葉があったように記憶している。哲学とは「死ぬことの準備」といわれるが、いかなる死をも従容と受け容れる覚悟ができれば、たしかに人生に怖いものはなくなる。

 しかし、「死を受け容れる」ということは、じつは「死ぬこと」よりも「生きること」に深く結びついている。つまり私たちは死という暗黒の宇宙から自分を俯瞰することによって、かけがえのない「生」の美しさに眼を見開かれる。

 そして、生をそのように美しいものとして捉え直すことで、死そのものの受け取り方も変容するわけだ。強制された死を前にして、こうした人生における価値転換がしばしば起こる。犯罪を犯して死刑を宣告された人の手記を、明日の日記で紹介しよう。


橋本裕 |MAILHomePage

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