橋本裕の日記
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2005年06月01日(水) 燃え上がる朝

 人にはさまざまな「生きがい」がある。仕事が生きがいだというサラリーマンもいるだろう。お金儲けが生きがいだという人もいる。それが悪いわけではない。他人に迷惑さえかけなければ、その人の自由である。

 私の場合、「文章を書くこと」が昔から好きで、生きがいになっているが、他にもいろいろと楽しいことがある。朝の散歩もそのうちの一つだ。最近はこの日記を書き終えた後、6時ごろに家を出る。そして朝の木曽川を1時間ほど歩く。

 小鳥の囀りを聴き、朝日を浴びながら、すがすがしい緑の風のなかを歩いていると、「ああ、生きていてよかった」と心の底から喜びが湧いてくる。これは理屈ではない。何かもっと根源的な喜びである。一日の最初をこうした爽快な気分で始められるのはありがたい。

 神谷美恵子さんの「生きがいについて」のなかに、ベルギーの象徴詩人、ヴェルアーランの「よろこび」という詩が引用されていた。神谷さんが訳したというその詩を、ここに一部孫引きしておこう。

  よろこび

 おお、燃え上がる朝にはじまる美しき日よ
 烈々として壮麗なる大地のほこらかに
 めざめたるいのちの香り強くはげしく
 存在はすべて酔いしれ、よろこびにおどる。

 ありがとう、わたしの眼よ、
 すでに老い足る額の下でなおも澄んだまま
 はるかにきらめく光りを眺めうるを。

 ありがとう、わたしのからだよ、
 疾風やそよかぜにふれて、
 なおきりきりとしまり、おののきうるを。

 すべてのもののなかにわたしは在る、
 わたしをとりまき、
 わたしにしみわたるすべてになかに。

 厚き芝生よ、かそけき小径よ、
 樫の木々の茂みよ、
 かげりなき透明な水よ・・・・

 神谷さんは、自然のやさしさにふれるとき、人はだれでもいやされるという。ライに体を蝕まれ、生き甲斐を喪失していた人でも、野の中に自分をおいたとき、よろこびにあふれて、こんな歌をつくったという。

 草原に伏して仰げばわれもまた小さき花なり大地に咲くなり

<足場をうしない、ひとり宙にもがいているつもりでも、その自分を大地はしっかりと下からうけとめて支えてくれたのだ。そして自然は、他人のようにいろいろいわないで、黙ってうけ入れ、手をさしのべ、包んでくれる。みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままでそこに身を投げ出していることができる。・・・自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を与えうる>

 神谷さんは「人間から生きがいを奪い取るほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない」と書く。そういう意味で、万人に生きるよろこびをもたらしてくれる自然の愛の力は測りしれない。


橋本裕 |MAILHomePage

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