橋本裕の日記
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人間は弱い存在である。家族や身近な共同体がなければ生きてはいけない。そうした身近な共同体が崩壊したらどうなるのか。人は拠り所をうしなって不安になるだろう。そうした孤独な人々が最終的に求めるのは、自分たちを庇護してくれる強力な国家である。
しかし、ここにもう一つの解決法がある。それはストア派の哲学者がとった方法だ。たとえ家族を失い、国家が崩壊したとしても、それに依存しないような強固な自己をつくればよい。彼らはこう考えて、思想的にも肉体的にも自己を鍛えた。
こうしたストア派の哲学の淵源は、ソクラテスにまでさかのぼる。ソクラテスという山から流れ出した流れは、アンティスネス、デイオゲネス、クラテスと受け継がれ、ゼノンに至った。彼らは、自らの幸福の根拠を国家や社会は求めず、個人の鍛錬のなかに求めた。
おなじソクラテスをいただきながら、プラトンやアリストテレスはまた別の道をたどった。彼らの本質は「国家主義」である。プラトンはアテネの民主政治を攻撃したし、アリストテレスは「人間はポリス的存在である」という有名な言葉を残している。
たしかに個人は国家や社会があっての個人である。ある意味でこれは正論なのだが、これが進むと、国家や社会のために個人は存在するという全体主義になる。そして個人が脆弱な社会では、どうしてもこうした専制へ向かう傾向がある。
ストア派の人々は、デイオゲネスの「天下の住人」の発言からも分かるように、その発想はポリスという狭苦しい枠を超えている。デイオゲネスは国家などというものが存在するから争いが絶えないのだと考えていた。
とはいえ、ストア派の人々は社会や政治そのものの必要性を否定したわけではない。個人の魂のありかたを問題にしたうえで、社会の問題を考えた。それは彼らの著作目録をみればわかる。たとえば「ギリシャ哲学者列伝」によると、犬儒派の始祖であるアンティスネスにはこうした様々な問題をテーマにした10巻もの著作があったという。
たとえば第3巻には「法について、あるいは国家について」という論文が収められていた。そのほか、自然について、教育について、言語について、歴史について、とその内容は森羅万象に及んでいる。
彼らは個人の魂のありかたを問題したが、社会のありかたについても深く考えていた。一説によれば、デイオゲネスにも「国家」についての著作があったという。「ギリシャ哲学者列伝」によれば、彼はそこで「世界国家」の必要性を主張していたらしい。
アレキサンダー大王がディオゲネスを訪れて教えを請うたのは有名な逸話だし、アレキサンダーはアテネではクラテスの家で寝起きをしていた。さらに彼の父のピリッポス王が逗留したのはクラテスの妻の家だったらしい。
アレキサンダーの死後、マケドニアの王となったアンティゴノスはアテネに出かけるたびにゼノンの講義を聞き、マケドニアに来るように要請した。アンティゴノス王がゼノンにあてた手紙の一部を「ギリシャ哲学者列伝」から引用してみよう。
<貴殿は何としても小生と交わりを結ぶように務めていただきたい。そうしてもらえるなら、貴殿は、たんに小生ひとりの教師となられるだけではなく、マケドニア人全員をひっくるめての教師となられるだろうから、ということを充分に賢察された上で。と言いますのも、マケドニアの支配者を教育して、徳にかなったことへと導いてくれる人は誰であろうと、その臣下たちをもよき人間に仕上げてくれる者であることは明らかなのですから>
ゼノンは高齢を理由にこれをことわったが、かわりに二人の弟子をマケドニアに派遣している。このように他国の王からその徳を慕われたゼノンだったが、アテネ市民の彼にたいする尊敬も絶大だった。アテネの民会はゼノンにたいして「感謝決議文」を採択している。
その決議文には、国費で彼の墓を作ること、黄金の冠を授けること、決議文を刻む二本の柱をたてることなどが記されてある。ゼノンはこうしたアテネ市民の好意を条件付きで受け入れたらしいが、小さなパンと蜂蜜と、よい香りのする葡萄酒を毎日の食事にしていたというこの清貧の哲学者にとって、これはありがた迷惑なことだったのかもしれない。
ゼノンが死んだとき、アンティゴノス王は何というすばらしい観客を失ったことか」と嘆いたという。このようにストア派はアテネの市民からも異国の人々からも受け入れられた。それはそのすぐれてコスモポリタン的な普遍性をもっていたからだろう。
ゼノンは「国家」をはじめ、多くの書物を著した。「宇宙万象について」「詩学講義」「倫理学」「法について」「ギリシャ人の教育について」「自然に即した生活について」など。その厖大な著作はほとんど失われているが、彼の思想はその後継者達によってさらに磨きをかけられ、現代にも生きている。
それではストア派の哲学の精髄はなにか。それは個人のなかに宇宙を見たことだろう。人間も又一つの宇宙であるという発見は、考えてみれば実に恐るべき発見であった。こうした考えがソクラテスから始まり、ゼノンによってはっきりと自覚されたわけだ。
この考えは、その後の西洋思想の基盤になっている。これはキリスト教にも影響したし、ライプニッツやスピノザ、そしてカントに決定的な影響をあたえた。また、ゲーテなど多くの西洋文学の基盤でもある。
ストア派の哲学は、東洋の思想とも相性がよい。日本の戦国大名はこぞって仏教に帰依し、高僧の下で精神修行をした。また、政治上のことでも多くの助言を求めたが、これもマケドニアの王がストア派の哲学者を尊重し、助言を求めた事例を彷彿とさせる。
さいごに、私がストア派の思想を見事にあらわしていると考えている詩を紹介しよう。それは金子みすゞの「はちと神さま」という詩である。金子みすゞは実に、はちの中にさえ宇宙を見ている。短い詩だが、とても内容の深い、美しい詩ではなかろうか。
はちと神さま
はちはお花のなかに、 お花はお庭のなかに、 お庭は土べいのなかに、 土べいは町のなかに、 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、 小ちゃなはちのなかに。
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