橋本裕の日記
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2005年05月17日(火) 奴隷から自由人へ

 海賊に襲われ、クレタ島に連れていかれたディオゲネスはそこで奴隷として売り出された。そのとき、奴隷商人が、「おまえは何ができるか」と質問すると、彼は胸を張って、「私は神々のように人を支配することができる」と答えた。

 奴隷商人は驚いて、その真意を問いただした。ディオゲネスがいうには、人間はだれも何者かの奴隷になっている。とくに自分の欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人なのだ。欲望にあやつられて動く人間は、みんな奴隷である。

 私もまた欲望を持っているが、欲望に支配されることはない。どうしてかといえば、私は欲望よりももっとすばらしいもの、もっと強力でよろこばしいもの、すなわち真理に従って生きる生活を知っているからである。真理に従っているかぎり、私は私の主人である。そして私は神々のように幸福である。

 真理こそはすべての支配者である。しかし、人々はその存在すら知ろうとしない。したがって、真理の存在を知っている私は自分自身の主人である。そして真理を知っていることで、他人をも支配することができる。なぜなら、自分を支配することができる人間だけが、他人から自由であり、他人をも自由にできるからである。

 こんな生意気な奴隷を誰も買うはずはないと思われたが、デイオゲネスの演説にじっと耳を傾けていた男がいた。クセニアデスという富豪である。クセニアデスは「私にはあなたのような主人が必要だ」と冗談をいい、彼を買ってくれた。

 ディオゲネスもクセニアデスが好きになった。そこでディオゲネスは、家庭教師として彼の息子を立派な男に鍛え上げた。そればかりか、経理の才を生かして、クセニアデスの商売を助けてやった。クセニアデスは大いに喜んで、ディオゲネスを奴隷の身分から解放してくれた。

 こうしてディオゲネスは自由の身になってアテネにやってきた。そしてそこで、ソクラテスの弟子のアンティステネスという哲学者に出会った。この出会いがデイオゲネスの人生を変えることになった。

 アンティステネスがソクラテスから学んだことは、「物欲にふりまわされていけない。そうしたものを捨て去り、精神を鍛えて、魂のためにだけ生きなければいけない」ということだった。アンティステネスはこのソクラテスの教えを実践することこそが哲学者の正しいあり方だと考えた。

 アンティステネスの偉いところは、ただそう考えただけではなく、そうした生活を自ら実践してみせたことである。彼は財産を捨て、粗末な身なりをして街に現れ、人々にそうした簡素な生き方のすばらしさを説いた。ディオゲネスはアンティステネスのなかに真の哲学者のあるべき姿を見た。そして彼も又アンティステネスのような生活をはじめたわけだ。

 ディオゲネスはこうして野良犬のような生活をしながら、アテネの市民たちが所有する奴隷の数で他人を評価し、お互いの富を競い合うのを皮肉な目で見ていた。祭壇に生け贄を捧げ、その後に御馳走をたらふく食べて健康を害しているのを愚かなことだと思った。

 「健康を祈って生け贄をささげておきながら、健康を害するほどの御馳走を食べている。人間が生きていくための糧は神々から容易に授けられているのに、そのことが見えなくなってしまったのは、人々が蜂蜜入りの菓子だとか、香油だとか、その他そういった類のものをほしがるからだ」

「競争の際には、隣の人を肘で就いたりして互いに競い合うのに、立派な善い人間になることについては、誰ひとり競い合おうとする者はいない」

 デイオゲネスはこのように、堕落したアテネの市民を批判し、自らを「天下の住人」と称していたが、そのころアテネで人気のあったプラトンもまた別の視点からアテネ市民を批判していた。彼はソクラテスを抹殺したアテネの民主政治を嫌っていた。彼はその著「法律」のなかで、ソクラテスの口を借りて、為政者や議員、陪審員を「くじ」で選ぶことの愚かさを痛烈に批判している。

<あなたが家を建てるときどんな大工に仕事を頼むか? 大工を集めてくじを引かせて当たった大工に頼むか、それとも最も腕の良い大工に頼むか? 腕の良い大工に頼むであろう。ならばなぜ、われわれアテネ人は政治を行う者をクジで選ぶのか>

 プラトンは国民を哲人王が支配すれば、国民は王の言うことをよくきいて素晴らしい国になると考えた。アテネのように何でも議論をしていてははじまらない。エジプト人のように、王、ファラオを神の化身としてあがめていたほうがましだとさえ考えていた。

 デイオゲネスはこうしたプラトンの国家主義や貴族主義を嫌っていた。プラトンの家にいったとき、そこに敷いてあった絨毯を踏みつけて、 「俺はプラトンの虚飾を踏み付けているのだ」といった。プラトンもデイオゲネスを嫌っていた。そして彼を「狂ったソクラテス」と呼んだ。

 プラトンは目の前に見えているこの世界を真実と考えなかった。現実を超えた別の世界に理念的な存在の実在を考え、これを「イデア」と呼んだ。デイオゲネスはプラトンの「イデア」も認めていなかった。

 デイオゲネスにとって、目の前にある世界がすべてであり、この世界をいかに善く生きるかが問題だった。のちにアリストテレスがこの点で師プラトンを痛烈に批判している。アリストテレスはさらにプラトンの説く哲人王を批判し、民主主義こそ大切な政治形態だと考えた。この点で、アリストテレスはディオゲネスに親近感をもっていたのではないだろうか。

 ディオゲネスはそのシニカルで辛辣な傍若無人ぶりにもかかわらず、多くの人に愛されたようだ。晩年には彼の名声はギリシャ中に鳴り響いていたが、彼はその名声をなんとも思っていなかった。自分の墓を作ることを許さず、「どんな野獣の餌食にしてもいいし、そのへんに投げ捨てておいてもいい、杭の中に押し込んでわずかの土をその上に盛っておけばそれでいい」と語って死んだという。

 ラファエロの筆になる有名な大作「アテネの学堂」には、数十人の、古代ギリシアの哲学者や数学者などが一堂に会するさまが描かれている。中央の2人は左がプラトン、右がアリストテレス。プラトンが天上を指差し、アリストテレスは手のひらを地上に向けている。

 ソクラテスは黄褐色の衣を着てプラトンの左にいる。そして、画面中央の石段に座り込んでいるのが我らのディオゲネスである。彼の右側でコンパスを持っているのが数学者・ユークリッド。そのほか、ヘラクレトス、アルキメデスやターレスなど、今さらながら、ギリシャ哲学の豪華絢爛ぶりがしのばれる。


橋本裕 |MAILHomePage

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