橋本裕の日記
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2005年05月13日(金) 樽の聖人

 高校時代に英語の教科書で「デイオゲネス」というギリシャの哲人のことを知った。以来、この風変わりなギリシャの哲人は私の心の中に住み続けている。これまでもディオゲネスについては何度も書いているのだが、すぐにまた書いてみたくなる。それだけ好きだと言うことだろう。

 デイオゲネスはアテネ郊外に住んでいた。樽の中に住んでいて、その樽を転がして好きな場所に移動した。樽の他に彼はこれという持ち物は何もなかった。いわばシンプルライフ、スローライフの先駆者のような存在である。

 彼は「美しい人」と呼ばれた。外貌ではなく「魂において美しい人」という意味である。彼はただ樽の中に住んでいただけで、何事かを為したわけではない。天気のよい日は樽から抜け出して、河原でひなたぼっこをしていたという。

 まったくの無為徒食である。説教をするでもない。著作をするでもない。書物はひとつも残さなかったが、しかし彼ほど多くの逸話を後世に残したの人はいない。それだけ彼は当時の人々からも一目置かれ、尊敬されていたということだろう。

 説教はしなかったが、彼は自分の生き方を通して、人々に大きな感化を与えた。そして2千数百年を経た現在でも、彼の名前はその数々の逸話とともに伝えられ、彼の名前は「哲学者」の代名詞のようにさえなっている。

 なにはともあれ、彼の逸話を紹介しよう。彼も人間である。いくらシンプルライフだとはいえ、「食べる」ことはしなければならない。良寛に「焚くほどは風が持てくる落ち葉かな」という句があるが、おそらく彼もそのように人の善意にすがって、最低限の食料を得ていたのだろう。

 食べ物については、こんな逸話が残っている。彼が貧しい農夫からもらったキャベツをいとおしむように河原で洗っていると、アテネに住む友人の哲学者が近くを通りかかって、「君も私のように金持ちの友人とつきあいたまえ。そうすればもっとすばらしい邸宅に招待され、もっとおいしいご馳走がもらえるよ」と忠告をした。その友人に対して、ディオゲネスはこう答えたという。

「私にはこのキャベツが最高のごちそうなのさ。なぜなら、このキャベツは私にこれをくれた人の善意で味付けされているからね。君の金持ちの友人の食卓のどんな調味料よりもこれがおいしいんだよ。君もここへきてキャベツを洗ってごらん。川でひなたぼっこをしながらキャベツを食べるのが、どんなに楽しいことかわかれば、金持ちの友人なんか必要でなくなるだろうよ。そしてご機嫌取りの退屈な会話からも解放されるわけだ」

(明日に続く) 


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