橋本裕の日記
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こんな話があります。王様が遠い異国に旅立つことになって、3人いる妃のなかで一番寵愛していた妃に「一緒に来てくれ」と頼んだら、「私はあなたについてはいけません」と冷たく突き放されてしまいました。
そこで王様は二番目に可愛がっていた夫人のところに行って、同じことをいうと、「国の境までならいきましょう」と言われました。王様はがっかりして、日頃あまり目を掛けていない第三夫人のところへいくと、彼女は「私はどこまでもあなたにお供します」とやさしく微笑みかけたと言います。
ある人の解説によれば、遠い国へいくというのは、新しい人生(死)への旅を意味していて、第一夫人は「お金」の象徴だそうです。この王様が日頃一番愛していたのは、金銀財宝だったのでしょう。ところが、新しい人生への旅立ちを前にして、財宝は何の役にも立たないわけですね。
第二夫人は「家族」や「友人」と考えられます。家族や友人の愛情は貴重ですが、旅立ちに際してはそれらも無力です。旅人の心は愛着に縛られて、かえって自由を失い、古い人生に後ろ髪を引かれるかも知れません。
それでは第三夫人は何か。それは「自己」の象徴だといいます。人間は結局一人で旅立って行かねばならない。そのとき道連れに出来るのは自分のたましいだけです。だから自分の魂を日頃から大切にしておかねばならないわけです。
そこでそれでは自分の心をどうやってつかまえるかということが問題になってきます。そのために私は、個人の歴史においても、過去を振り返るということはとても大切なことだと考えています。
なぜなら、過去の人生を旅することで、自分がほんとうにやりたいこと、自分の魂の原点を確認できるからです。そしてそこを足場に、未来に向けて、自分の人生のシナリオを構築していけるからだと思います。
大切なのは自分自身との出合いであり、自分の人生の意味の発見ですが、そのばあい大切なことは、自分を他者と比較したり、世間の物差しをあてはめて過去を断罪しないことだと思います。あくまでも自分自身との対話が大切だと思います。自分史を書くことで、この自分自身と対話する時間が持てます。これが大切なのではないでしょうか。
私は人間はだれでもその人固有の人生をもち、その人の「物語」をもって生きていくものだと思っています。それはその人にしか生きられない、独特の固有の「ものがたり」です。
そして、自由のすばらしいのは、そうした物語を自分で発見し、そのシナリオを自ら書き、みずから「主役」であるばかりか、その演出家にもなれるということです。
他人から押しつけられた役に甘んじないで、自分の手で自分を主人公にした人生のシナリオを書くのはすばらしいことです。私たちの人生に内在するすばらしい人生の物語を発見し、そのシナリオを自分の手で創造すれば、人生はこのうえもなく刺激的で、愉快で、楽しいものになるのではないでしょうか。
みんながみんな、自分の人生の主役になり、個性的で輝いているとき、この世界は花園のように美しく光り輝きます。こうして個人の物語は、世界の物語のなかに溶け込んでいきます。
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