橋本裕の日記
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2005年05月10日(火) 鯉の泳ぐ町

 中江藤樹(1608〜1648)のふるさとである湖北の安曇川町も、高島市新旭町に似て、清流がいたるところに流れている。藤樹書院まで友人たちと歩いたが、途中の用水には鯉も泳いでいた。

 用水の鯉が他の生き物と一緒になって、水をきれいにしてくれる。それは単なる無機質のきれいさではなく、生き物たちが豊かな生活を営むなかで自然につくりだされる透明感であり、温かみのある清浄さである。

 ところでこうした用水に鯉を飼うという伝統はいつからあるのだろうか。私は古来からの生活の知恵だと思っていた。むかしは日本全国で、こうした美しい生活が営まれていたのだと考えていた。

 しかし、これは少し修正しなければならない。特に湖北地方の町や村に今もこの習慣が残っているのには、もう少し深いわけがあるようだからだ。この美しい伝統が湖北地方に伝わっているのは、そこに中江藤樹の影響が考えられるからだ。

 藤樹は武士を捨ててふるさとの小川村に帰り、私塾を開いた。そして藤樹は家の前に流れる溝に魚を飼いたいと思った。これを知った門人の一人で、漁師をしている加兵衛が琵琶湖で捕った鯉を3尾もってきた。溝に放たれた鯉はゆったりと泳ぎだし、それを見た藤樹や門人たちの気持ちをなごませた。

 しかし、その鯉は翌朝にはなくなっていた。盗まれたのである。藤樹ががっかりしていると、加兵衛がまた鯉を持ってやってきた。「申し訳ない」とあやまる藤樹に、加兵衛はこう言った。

「いいんですよ。鯉はまだまだ沢山います。だれでもあの鯉を見れば欲しがるのは無理はありません。この鯉もまた盗まれるかもしれませんが、そうなったらそうなったで、また持ってきます」

 その鯉もたちまち盗まれた。門人達は「けしからん」と息巻いた。藤樹は門人達に「なぜ盗みがなくならないのか。それは人と人との関係が壊れていて、お互いに相手を敬愛するこころが足らないからだ。ほんらい人は誰でも美しい心をもっているものだ。誠意はいつか伝わるものだ」と諭した。

 加兵衛はその夜、物陰に身を潜めて、盗人が来るのを待った。やがて、家の前に二つの影があらわれた。加兵衛は飛び出していって、二人に懇願した。

「鯉は中江先生が、人々を楽しませようと、放したものです。鯉が欲しければ、私の生け簀に来て下さい。ただで差し上げます。中江先生を悲しませないで下さい。お願いです」

 二人は泣きながら懇願する加兵衛の誠意に打たれた。そして、「すまなかった。二度と盗まないよ」と言って、去っていったという。この話は村に伝わり、鯉は再び盗まれることはなくなった。そればかりか、門人も増えて、藤樹の思想が人々の間に浸透していった。こうして近隣の村の水路にも鯉の姿が多く見られるようになったのだという。

 水路に鯉を放つ習慣は、今も湖北の土地に残っている。用水の中を悠然と泳いでいる鯉たちの姿は、訪れる人の心をなごませる。こうした風景がふつうに見られるのも、「人は誰でも美しい心をもっている」という藤樹の教えが、その土地の人々の心に生きているからだろう。風景の美しさは、そこに住む人々の心のゆたかさでもある。

(参考サイト)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog324.html


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