橋本裕の日記
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2005年05月06日(金) 社会を荒廃させないために

 先日のJR事故の原因として、社会が地道な労働を評価せず、労働者が誇りを奪われたことも大きな要因になっている。どうして人が自分の労働や生き方に誇りをもてないという労働疎外、人間疎外がもたらされるのか。その背景にあるのは、「社会の荒廃」という深刻な現実である。

 社会が荒廃すると、人間関係の調和が失われ、事故や犯罪や自殺が増加する。人々が安心して暮らせなくなる。人間と人間が裁判で争い、財産を乗っ取ったり、会社を乗っ取ったりと、物騒で殺伐とした事件が頻発するようになる。

 それでは何が社会を荒廃させるのか。過度な競争原理による貧富の差の拡大だ。OECDの調査によると、所得が平均の半分に満たない世帯の割合は、日本が15.3パーセントで、これは5パーセントしかない北欧諸国の3倍だという。

 ORCD諸国の平均10.2パーセントをも大幅に上回り、日本を上回るのはメキシコ、アメリカ、トルコ、アイルランドの4ヶ国だけだという。これは2000年の調査だから、今ではさらに貧富の格差は広がっているに違いない。

 厚生省の2003年の「国民生活基礎調査」によると、世帯当たりの所得の最頻値は400万円を割り込み、世帯全体の6割が平均所得の600万円を下回っている。この結果、家計の金融収支は1兆2千万円もの赤字になっているという。

 家計のやせ細りの背景には、「労働経済白書」のいう「働き方の多様化」がある。この10年間で「正社員」は1割減り、かわってパート、アルバイト、派遣・契約社員などの「非正規雇用」が5割増加の1千5百万人に達した。働き方の多様化」が、わが国においてはそのまま「賃金格差」になっている。

 貧富の差が拡大すると、政治が裕福な人々に独占され、裕福な人々にますます都合の良い体制ができあがる。世論をリードするジャーナリズムも、資金を提供する人々によって支配され、弱肉強食の風潮がますます社会を覆うことになる。正義が力ではなく、力が正義であることがまかり通るわけだ。

 そうした社会では、一部の人々だけが特権を享受する。そして大多数の人々は負け犬同然の扱いを受ける。それでも多くの人々は成功神話にあざむかれ、目の前ににんじんをぶら下げられて、あるいは落ちこぼれにならないために、不安と恐怖にかられてがんばるわけだ。

 ゆとりを奪われた人々は、自分たちの生き方を絶対化し、その枠の中で生きようとする。その枠が、強者たちによって、自分たちを永遠の弱者にするべく与えられたシステムだということがわからない。常に他者と競争し、他者との比較の中で自己の優位をもとめる生き方に慣れた人間は、そうした貧しい生き方の中で、その貧しさを社会に蔓延させながら生きていくことになるわけだ。

 こうして社会がますます荒廃し、犯罪が増加すればするほど、人々はさらに保守化する。犯罪が生まれるその原因を、自由な体制の中にもとめ、自由や基本人権に制限を加えて、これを制限しようとする。国家権力に従順な人間をつくり出すことで、治安を回復し、みせかけの安全をつくり出すわけだ。こうして警察国家が生まれる。

 少し前まで、日本は世界がうらやむ豊かで平和な国だった。所得格差が少なく、一億総中流と呼ばれた時代もあった。それがバブルとその後のバブル崩壊の過程で変質した。小泉首相の「構造改革」がこの傾向に拍車をかけたことも争えない。

 同時に日本は政治的に保守化し、憲法を改悪して、いよいよ警察国家への道を歩み始めている。その現状について、朝日新聞が連載した「統制への足音」に生々しく書かれている。あしたの日記でこれを紹介しよう。


橋本裕 |MAILHomePage

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