橋本裕の日記
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人間は過ちを犯すことで成長する。人生は試行錯誤の連続だ。だから失敗を恐れていては、大きく成長することはできない。「七転び八起き」というように、七回失敗しても八回目に成功すればよい。
とはいえ、なるべく失敗したくないのが人情である。とくに親や教師は子供が失敗するのを見るのはつらい。だから自分の失敗体験を振り返り、自分と同じ轍を踏まないように、いろいろとアドバイスをしたくなる。
しかし、これも行きすぎると問題である。何でも先回りして、子供が失敗しないようにお膳立てしていると、結局子供は自分の失敗体験を持つことができなくなる。そして失敗から学ぶというもっとも貴重な人生体験を奪われることになるからだ。
だから、英明な親や教師は、先回りをして子供が失敗しないように導いたりはしない。むしろ子供がつまずき、倒れるのを容認する。安易に手をさしのべたりしないで、子供が泣きながら立ち上がるのを待つ。
そうすることで子供は失敗を恐れないようになる。失敗しても自分で立ち上がる自信を持つからだ。転んでも大丈夫、また立ち上がって歩けばよい。子供にその自信を与え、生きる力を与えるために、あえて手を貸さずに見守っているのも愛情である。
教育的な社会はこうした失敗に対する寛容さをもっている。こうした寛容さは一見効率的でないように見えるが、内実のあるしぶとい人間を育てる上で、長い目で見れば充分効率的であり、合理的である。こうした社会で育った人間はしっかりした自分を持つことができる。
大器晩成という言葉があるが、これもこうした教育というものの本質が分かれば理解されるだろう。効率的なものが非効率であり、非効率と思われるものが効率的であるという逆説がここに成り立つ。
知識偏重の詰め込み教育が効率的に見えるのもはじめのうちだけである。試行錯誤し、失敗を積み重ねるゆとりがなければ、人間は本当の意味で成長することはできない。そしてこうしたゆとりのなかから、本物の向学心が生まれ、生涯におよぶ学びの心が育つ。
私たち大人が失敗を人生の必要なステップと考え、過ちから学ぶゆとりを持てば、子供もまたのびやかに大きく育つだろう。「ゆとり教育」の大切なゆえんである。
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