橋本裕の日記
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2005年03月28日(月) かたかごの花

 今日の起床は5時過ぎだった。いつもより2時間も遅い。しかし、充分寝たりたせいで、気分は爽快だった。一泊4000円のビジネスホテルだが、やわらかい羽布団だった。宿泊客も少ないようで、とても静かだ。フロントの女将さんも愛想がよい。

 7時前に宿をでて、金沢駅のレストランでモーニングを食べた。コーヒーとバタートースト、サラダ、ゆで卵で480円。少し高いが、しかたがない。7:52に金沢発。高岡で氷見線に乗り換えた。途中海岸線の景色がよい。そのあたりが大伴家持が歌に詠んだ渋谷(雨晴し)海岸だった。

 馬並めて いざうち行かな 渋谷の
 清き磯みに よする波見に   (巻19−3954)

 磯の上の つままを見れば 根をはえて
 年深からし 神さびにけり   (巻19−4159)

 渋谷を 指して我が行く この浜に
 月夜飽きてむ 馬しばし停め   (巻19−4206)

 家持が眺めたであろう小島が沖に見える。そして遠く立山連峰の影。残念ながら雨の中にその輪郭はほとんど隠れている。能登半島の島影もどうようである。列車は海岸間際を走るので、晴れていれば絶景だろう。いつかふたたび来てみたい。

 9:04に氷見着。すぐに折り返して、9:32伏木着。駅の観光案内所でパンフレットをもらった。大伴家持が29歳から34歳まで5年間を過ごした国司館跡まで歩いて10分で、伏木駅の正面の道が国府跡に建てられた勝興寺の参道になっている。途中左側の高台に家持の歌碑が建っていた。私の好きな「射水川」の歌が石碑に刻まれてあった。

 朝床に 聞けば遙けし 射水川
 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人     (巻19−4150)

 いまそこに伏木観測所が建っている。案内板の説明によれば、この高台に大伴家持の住居があったとのことだ。しばしそこに佇んで耳を澄ませてみたが、聞こえるのは傘にかかる春雨の音と、巷の低い物音だけだった。

 射水川は今の小矢部川だという。しかし、家持の頃の川はその高台のすぐ下を流れていたという。これなら朝床に川音を聞き、舟人の唱う声も聞けたことだろう。現在はそこから川まで1キロメートルはあるだろう。背伸びをしても川面を視界に捉えることはできなかった。

 勝興寺は国府の跡に作られた浄土真宗系の寺院である。家持に興味があったので、このお寺は素通りした。寺の隣が「かたかご幼稚園」である。家持の「かたかごの歌」からとった名前だろう。

 万葉学者の犬養孝さんが特定した「寺井」の井戸が近くにあった。そこに犬養さんの書で家持の歌を刻んだ歌碑が建っていた。

  物部の 八十乙女らが 汲みまがふ
  寺井の上の 堅香子の花        (19巻−4143)

「かたくりの花」という標識があったので、目を凝らした。それらしい葉が見えたが、花らしいものはどこにもなかった。通りがかりの人に聞くと、「早春の花といわれていますが、咲くのは遅くて、桜と同じ頃です」とのこと。

 かたくりの花は見られなかったが、井戸の跡を眺め、犬養さんの歌碑を眺めていると感慨が迫ってきた。ようやくこの地に来たという思いがあふれてきた。雨の音まで、あたたかく心を潤してくれるようだ。

 犬養さんは万葉集のなかでも「かたかごの歌」が一番好きだという。万葉集には約4500首の歌があり、家持の歌も470首ほどある。そうしたなかで、私もまた、ときとしてこの歌がいちばんよいと思うときがある。

 私が万葉集が好きなったのは、大学生の頃NHKラジオで、犬養孝さんの連続講演「万葉の人々」を聞いてからだ。あれから30年がたったが、年輪を重ねるにつれ私はますます万葉の歌が好きになった。そして朝夕に万葉の歌を朗唱し、旅をし、文章を書いている。

 万葉集との出会いは「かけ算の出会い」である。100が101になり、102になるのが「足し算の出会い」なら、100が200、300になるのが「かけ算の出会い」である。万葉集と出会うことで、人生観は変わり、私の人生は2倍も3倍も豊かになった。

 犬養さんの「かたがごの碑」をあとにして、私は案内所でもらった地図をたよりに二上山のほうに歩いた。二上山は家持が何度も訪れ、歌にも詠んだ山だ。その山のふもとに、高岡市万葉歴史館があった。

 入場料210円と安かったが、広い敷地に立派な施設が立っていて、大伴家持を中心にした万葉集の解説や展示が充実していた。犬養孝さんは亡くなるまでここの名誉館長だったという。碑の原本になった「かたかご」の直筆の色紙も展示してあった。

 歴史館の屋上や内庭には、さまざまな万葉集ゆかりの植物が植えられていた。梅や椿の花が咲いている。そして、その一画に、かたくりの花が植えらていた。胸騒ぎを覚えて近づいてみた。

 そこに紫だったピンクの花びらが二輪ほど雨に濡れそぼっていた。とうとう、私はかたかごの花にであったのだ。その可憐な姿を心に焼き付けて、私は快い感動にひたりながら、この北国の万葉の故地をあとにした。


橋本裕 |MAILHomePage

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