橋本裕の日記
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2005年03月24日(木) 権力に従順な国民

 政治評論家の森田実氏がHPに連載している「時代を斬る」を愛読している。彼は「歴史は繰り返すのか ――永井荷風『断腸亭日乗』に学ぶ 」と題した文章でこう書いている。

<戦前は、日本の国民と政治家は軍部に従順に従いました。いまは小泉首相を先頭にしてブッシュ政権に従順に追随しています。戦前は軍部が天皇の名で国民を引っ張りました。現代はブッシュ政権が小泉首相の名で日本国民を引っ張っています。国民が従順すぎると戦前と同じことが繰り返されることを荷風の日記は教えています>

 引用されてている永井荷風の戦前・戦中の日記は読んでいて参考になった。たしかに昭和の初めの雰囲気は、現代の日本を彷彿とさせるものがある。森田さんの文章から孫引きさせていただこう。

「昭和4(1929)年10月18日。昭和現代の世はさながら天保新政の江戸を見るが如く官権万能にして人民の從順なること驚くに堪えたり。時勢の如何を論ぜず節約勤倹の令は固より可なり。然れども婦女服飾の如きはけだし末端の甚だしきものにして国家富強の直に基因する所はその他にあり。何ぞや、国民の気概と政治家の良心とにあり」

「昭和7(1932)年2月11日。早朝より花火の響きこえ、ラジオの唱歌騒然たるは紀元節なればなるべし。去秋満洲事変起りてより世間の風潮再び軍国主義の臭味を帯びること益々甚だしくなれるが如し」

「昭和7(1932)年5月15日。五時半頃陸海軍の士官五、六名首相官邸に乱入し犬養を射殺せしといふ。……如何なるわけあるにや。近頃頻に暗殺の行はるること維新前後の時に劣らず。然れども凶漢は大抵政党の壮士または血気の書生らにして、今回の如く軍人の共謀によりしものは、明治12年竹橋騒動以后かつて見ざりし珍事なり。或人曰く今回軍人の兇行は伊太利阿国に行はるるファシズムの模倣なり。我国現代の社会的事件は大小となく西洋模倣に因らざるはなし」

「昭和11(1936)年2月14日。日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴走もこれを要するに一般国民の自覺の乏しきに起するなり。個人の覺醒せざるがために起ることなり。然りしかうして個人の覺醒は将来においてもこれを到底望むべからざる事なるべし」

「昭和11(1936)年4月10日。新聞の雑報には連日血腥きことばかりなり。(中略)現代の日本人は自分の気に入らぬ事あり、また自分の思うやうにならぬ事あれば、直に凶器を振って人を殺しおのれも死する事を名誉となせるが如し」

「昭和12(1937)年8月24日。余この頃東京住民の生活を見るに、彼らはその生活について相応に満足と喜悦を覺ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、むしろこれを喜べるが如き状況なり」

「昭和15(1940)年9月20日。午後文士中江与一来りて雑誌の原稿を請ふ。時勢の変遷を何とも感ぜざる人間世にはなほ多しと見ゆ。鈍感むしろ羨むべきなり」

「昭和15(1940)年10月15日。この頃は夕餉の折にも夕刊新聞を手にする心なくなりたり。時局迎合の記事論説読むに堪えず」

「昭和17(1942)年正月元日。郵便受付箱に新年の賀状一枚もなきは法令のためなるべし。人民の從順驚くべく悲しむべし。野間五造翁ひとり賀正と印刷せし葉書を寄せられる。翁今なほ健在にて旧習を改めず。喜ぶべきなり」

「昭和18(1943)年6月25日。近年軍人政府の為す所見るに事の大小に関せず愚劣野卑にして国家的品位を保つもの殆なし。歴史ありて以来時として種々野蛮なる国家の存在せしことありしかど、現代日本の如き低劣滑稽なる政治の行はれしことはいまだかつて一たびもその例なかりけり。かくの如き国家と政府の行末はいかになるべきにや」

「昭和18(1943)年12月31日。今秋国民兵召集以来軍人専制政治の害毒いよいよ社会の各方面に波及するに至れり。親は四十四、五才にて祖先伝来の家業を失ひて職工となり、その子は十六、七才より学業をすて職工より兵卒となりて戦地に死し、母は食物もなく幼児の養育に苦しむ。国を挙げて各人皆重税の負担に堪えざらむとす。今は勝敗を問わず唯一日も早く戦争の終結をまつのみなり」

「昭和21(1946)年4月28日。現代の日本人は戦敗を口実となし事に勤むるを好まず。改善進歩の何たるかを忘るに至れるなり。日本の社会は根柢より堕落腐敗しはじめしなり。(中略)その原因は何ぞ。日本の文教は古今を通じて皆他国より借来たりしものなるがためなるべし。支那の儒学も両洋の文化も日本人は唯その皮相を学びしに過ぎず。遂にこれを咀嚼すること能はざりしなり」

 森田さんの「時代を斬る」とならんで、私が目を通すのが、ビル・トッテンさんの「温故知新」である。3/17の「発言の自由奪う米の詭弁」を読むと、ブッシュ二世政権のもとで、アメリカ言論界もまた危機的な状況にあることがわかる。

 たとえば、アメリカ先住民の血をひくコロラド大学教授のワード・チャーチル氏が、最近の論文で、「九月十一日の攻撃は米国の外交政策によって引き起こされた」というテーマで書いところ、彼の講演会はキャンセルされ、コロラド大学は教授の懲戒免職の可能性について審議しはじめたという。これについて、ビル・トッテンさんは「私も論文を読んだがなぜそれほど批判されるのか理解できなかった」と書いている。

<二期目の就任演説でブッシュ大統領がもっとも強調したことは「自由の拡大」であり、演説では「自由」(フリーダム、リバティ)という言葉を四十二回も繰り返した。自由という言葉はたしかに魅力的だ。しかし今の米国をみると、支配者たちだけが自由にふるまえるような世界を作ることが目的のように思える。

 世界に自由を広げようというブッシュの言葉とは裏腹に、米国内では言論の自由が危うくなっている。多くの米国人は、言論の自由が守られることには賛成だが、その内容が自分の考えと異なって不快な場合は別だと思っているらしい。このために政府の見解やメディアが喧伝(けんでん)している内容と異なる意見をおおやけに発表するとたちまち検閲にひっかかるというのが今の米国で、言論の自由は政府に逆らわないということが前提条件のようだ>

 こうしたアメリカの状況もまた日本同様に、永井荷風が日記の中で書いた昭和初年から10年代に非常に似ているのではないかと思った。ビル・トッテンさんの「温故知新」は次のサイトで全文を読むことができる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/tisin0503.html#17


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