橋本裕の日記
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| 2005年03月22日(火) |
ドロシー・ロー・ホルトの詩 |
昨日は部活の練習日だったが、あまりによいお天気だったので、部活の方はコーチのS先生にまかせて、私は妻と各務原市にある蔭平山に遊びに行った。途中、カモやアヒルのいる池に寄って、食パンをやったあと、ハイキングがてら山頂を目差した。
駐車場から山頂まで、ゆっくり歩いて40分ほどである。頂上の展望台に上がると、雪の残る御嶽山や伊吹山がきれいに見えた。そして眼下には木曽川や犬山城も見える。名古屋駅前にあるツインタワーもはるかに霞んで見えた。
小学生の子どもが展望台に上がってきて、あとからやってくる家族ほうに声を掛けている。「おとうさん、3等賞。おばあちゃんがんばれ、このままだと6等賞だよ。びりになったちゃうよ」 はじめは微笑みながら聞いていたが、あまりやかましいので鬱陶しくなった。
せっかくよい景色があるのだから、周囲を眺めてごらんと言いたくなった。むかし、「あそこまで、どっちが早いか競争しよう」と、何でも競争しないと気が済まない友人がいたが、彼と遊んでいても少しも楽しくなかったものだ。 何でも競争して、相手に勝ちたいと思うのは、学校や家庭でそのような「条件付け教育」がなされているからだろう。そうした「悪しき条件付け」の呪縛から自由になることはむつかしい。幼い頃に植え付けられた強迫観念はなかなか抜けないからだ。教育の恐ろしいところである。
皇太子浩宮さんが、2月23日の誕生日にスエーデンの教科書に引用されている「こども」という詩を紹介していた。北さんの雑記帳にその詩の全文が引用されている。大変いい詩だと思うので、ここに孫引きさせてもらうことにする。
こども ドロシー・ロー・ホルト
批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる
しかし
激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる
友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
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