橋本裕の日記
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2005年03月18日(金) バンパイン宮殿

 バンパイン宮殿は1632年に、アユタヤ王朝26代プラサート・トン王がチャオプラヤ川の中州に離宮を建てたのが始まりだという。1767年に王朝は滅びるが、バンコク王朝のラマ4世が再建し、ラマ5世にいたって多くの建物が完成した。

 西洋風の迎賓館やタイ様式の宮殿、さらに中国様式の宮殿など、東西の文化の粋を集めた建築物が水辺に配置されて美を競っている。敷地の中央にそびえるポルトガル様式の塔は天文台で、王はここで星を観測し、国の運勢を占った。

 なかでも美しいのが、池の中に浮かぶタイ様式の宮殿である。もっともこれは宮殿と言うより、小閣といったほうがいいのだろう。その繊細なたたずまいが何か可憐な少女の水浴する姿を連想させる。三島由紀夫の「暁の寺」から引用しよう。

<なかんずく美しいのは、ひろい人工的な形の池の中央にある浮御堂で、あたかも精巧な工芸品を水上に置いたかのようである。水に臨む石階が、水嵩の増すにつれて犯されて、その階の末は澱みの底に隠れて見えず、水中に見える段は白い大理石が水苔の緑に染まり、藻さえまつわって、こまかい銀の水泡に覆われている。・・・

 それは実は浮御堂ではなくて、単に、舟あそびの小憩に使われたものらしい。四方から透かし見られるこの小閣は、やや褪せた樺いろの帷を風にふくらませているが、その帷の内にのぞかれるのは、何もない小間だけだからである。・・・

 その小閣を見ていたときにそう思ったのか、あるいはあとで思い出しらとき、月光姫の姿とその小閣がいつともしれずまざり合っていたのかは知れないが、本多の脳裏にいつまでも残っている池中の閣は、ごく細身の黒地の柱が黒檀の肉体になり、煩瑣な黄金の細工物をおびただしく身につけ、尖った金冠を戴いて、今し爪先立った痩身の踊り子のように思われた>

 この宮殿を浮かべた池で、まだ幼い月光姫ジン・ジャンが女官たちにかしずかれて水浴する姿を本多は目撃する。

<姫はなかなか静かではなかった。沙羅を透かす日光の縞斑のなかで、たえず本多のほうへ笑いかけながら、そのやや大きすぎる子供らしいお腹を庇いもせず、女官に水をかけて叱られては、水をはね返して逃げた。・・・

 姫が手をあげるときがあった。平たい小さな胸の左の脇、ふだんは腕にかくされているところへ、思わず本多は目をやった。その左の脇腹に、あるべき筈の三つの黒子はなかった>

 私は三島のこの小説をもう30年も前に読んだ記憶がある。バンパイン宮殿を訪れたとき、私はそのおぼろげな記憶を携えていた。そして、池の中に浮かぶ小閣に目を細め、月光姫が水浴をしたとおぼしき岸辺をさがしていた。

 小説はこのあと意外な展開を見せる。戦争が終わり、日本の大都市は廃墟になった。やがて、その廃墟に建物が建ち、世の中が少し落ち着いた頃、本多は月光姫ジン・ジャンと再会する。彼女は日本の大学に学生として留学していた。本多の美に対する執念がふたたび燃え上がる。その顛末について、明日の日記に少しだけ書いてみよう。


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