橋本裕の日記
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三島由紀夫の晩年の4部作「豊饒の海」の第三部「暁の寺」の題名は、タイの寺院ワット・アルンからきている。チャオプラヤ川西岸にあるこの寺はアユタヤ時代からあったが、ラマ3世時代に完成したという。
この寺院には高さ67メートル、基壇の周囲が238メートルにもなるタイ最大のプラーン(クメール様式の仏塔)がある。4層からなる塔は彩色を施した中国式の美しい陶器片で装飾されていて、これが朝日や夕日を受けて輝く。
塔には途中まで石段で登ることもできる。石段を登ったテラスから眼前にチャオプラヤ川とその対岸を眺めることができる。これもなかなかの眺めである。4つの小仏塔がこの大仏塔をとりまき、それらも陶器片や彫像で美しく装飾されている。三島由紀夫の文章を引用しておこう。
<塔の重層感、重複感は息苦しいほどであった。色彩と光輝に充ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂きに向かって細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである。すこぶる急な階段の蹴込も隙間なく花紋で埋められ、それぞれの層を浮彫の人面鳥が支えている。一層一層が幾重の夢、幾重の期待、幾重の祈りで押し潰されながら、なお累積し累積して、空へ躙り寄って成した極彩色の塔。
メナムの対岸から射し初めた暁の光りを、その百千の皿は百千の小さな鏡面になってすばやくとらえ、巨大な螺鈿細工はかしましく輝きだした。この塔は永きに亘って、色彩を以てする暁鐘の役割を果たしてきたのだった>
三島はチャオプラヤ川をメナムと記している。私も学校でそう習った記憶があるが、メナムというのはタイ語で「川」という意味だそうである。だからメナム川と書くのは「川川」と同じに意味になってしまう。正しくは「メナム・チャオプラヤ」と書くべきだろう。
さて、私たち一家が最初に訪れた寺院がこの暁の寺だったこともあり、たしかにこの仏塔の印象は圧倒的だった。巨大な塔でありながら、その精緻な細部が見事だった。陶器片はそこに描かれた花や植物の絵とともに、一つ一つ手作りだという。そして無数の彫像のひとつひとつがまた細かくできている。
同じ寺院でも、素朴で簡明な日本の神社とは著しく違っている。日本の風土によって培われたわび・さびの感性を以てすれば、これは豪奢を通り越して、煩瑣とさえ写るかも知れない。三島も小説の中でこう書いている。
<タイのような国へ来てみると、祖国の文物の清らかさ、簡潔、単純、川底の小石さえ数まえられる川水の澄みやかさ、神道の儀式の清明などは、いよいよ本多の目に明らかになった。・・・本多はこの炎暑の中では、それを思い泛べるだけで額に清水を滴らすような感じのする、日本の神社のたたずまいを心に泛べた>
本多はビジネスで訪れたバンコクで、姫君ジン・ジャンが自ら日本人の生まれ変わりだと信じているという噂をきく。そしてこの幼い姫君を、本多もまた清顕や勲の輪廻転生した姿ではないかと疑う。
本多は期待を抱いて、アユタヤのバンパイン宮殿に行く。そこで、この幼い姫君と親しく接して、彼女がほんとうに、彼の愛した青年たちの生まれ変わりかどうか、たしかめようとするわけだ。続きを明日の日記に書こう。
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