橋本裕の日記
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2005年03月02日(水) 父への殺意

 祖父が死んで、サラリーマンをしていた父が田舎の家を相続したのは、私が中学生のときだった。それまでは年に数回しかいかなかった田舎に、私たちは毎週行くことになった。何をしに行くかというと、山仕事をしにいくのである。

 私の中学時代と高校時代の休日はこうして山仕事のために費やされた。私が父と植えた木は何万本にもなった。ただ植えるだけではなく、下草を刈ったり、木起こしをしたり、枝打ちをしたりと、山仕事はなかなかたいへんである。

 もともと町育ちで、山仕事とは無縁だった私が、こうした重労働をするのは容易なことではなかった。そのうえ休日がなくなるわけだから、不満でならなかった。不満なのは母も同様である。木起こしの縄を買ったり、ときには人足を雇ったりした。こうした出費を、父の給料から捻出しなければならなかった。いきおいそのしわよせが家計にきた。

 母や私の不満を、父はあたまから押さえつけた。そのため、この不満は内攻して怒りへと成長した。高校生の頃、この怒りが殺意にまで達した。背中に重い苗をかつぎ、両手に鍬と鎌をもって、山道を歩きながら、私はすぐ前をいく父に襲いかかり、鎌で首を掻ききろうかと思ったことがある。

 私は県立高校の受験に失敗し、やくざな私立高校に通っていたが、これも中学時代の過酷な山仕事のせいに思えた。幼い頃から山で育ち、山仕事が好きな父と違って、私にとって山仕事は一切の自由を奪う嫌悪すべき強制労働であり、山そのものが嫌悪の対象でしかなかった。

 40年を経て、この苦しかった時代がなつかしいものにかわっている。それはこの苦しい労働が、結局現在の私の背骨をつくってるいるからだ。山仕事をするようになって、私の体は見違えるように丈夫になったし、足腰も鍛えられた。それ以上に、多少のことではへこたれない精神の強靱さが養われた。

 山仕事を続けながらも、私が第一希望の国立大学に合格したとき、父は涙を流して喜んでくれた。このとき、私は「ああ、父を殺さなくてよかった」と思ったものだ。大学時代も父への怒りと反感は続いたが、現在の私には父への感謝があるばかりである。父から受けたスパルタ教育は、それほど捨てたものではなかったと思っている。


橋本裕 |MAILHomePage

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