橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年02月15日(火) インドの数学教育

 インドは数学教育に力を入れていることで有名である。そしてその成果が着々とあがっている。すでにコンピューターのプログラマーの数でも質でも世界一だと言われている。その実態については、以前この日記で紹介した。

 今日は数学教育について書いてみよう。インド人が数学に強い例として、いつもいわれるのが、99×99の二桁の九九を暗算しているということだ。これが事実かどうか、私は少しあやしいと思っている。たとえ事実だとしても、これはそれほど大騒ぎすることではない。

 むしろインドの数学教育のすぐれているところは、こうして頭ごなしに公式を暗記させるのではなく、それこそ徹底的にその公式の意味を理解させ、そしてこれを自在に使いこなすための計算練習も徹底的に行うことだろう。

 たとえば、四則演算では、×÷を+−の前に行うという規則がある。日本の教科書だと、2ページほど使ってこの規則を説明して、あとはこれを使った計算問題がほんの少しあるだけである。ところがインドの教科書は違っている。芳沢光雄さんの「子どもが算数・数学を好きになる秘訣」(日本評論社)から引いてみよう。

<インドの教科書の記述は根本的に違います。それは最初に、
   9−6÷3×2+1
 に関し、計算規則を無視するとどのようなことが起こるのかについて、三通りの方法で計算を行います。9−6を優先したり、2+1を優先したり、6÷3を優先したりする方法を紹介するのです>

 生徒はさまざまな試行錯誤をするなかで、自ずから計算規則の必要性を認識するわけだ。公式一つ覚えるにもこうした手間暇をかけているうえ、証明問題にも多くのスペースを使っているので、インドの数学の教科書は小学校から高校まで合わせるとみかんの段ボール箱一杯分にもなるという。

 インドの教育に詳しい作家の深田祐介さんも、「日本では単なる計算問題として扱われている問題でも、インドではいちいち証明問題のようにロジックの流れを言葉で明記しながら、解答をださなければ点数をもらえないのです」(最新東洋事情)と書いている。

 日本の場合、計算問題はあくまで計算問題である。公式を暗記し、あとはただこれを条件反射式に繰り返し練習するだけ。そして、途中のプロセスはどうでもよく、ただ答えがあっていればよしとするふうがある。

 私は学習の動機づけとして「必要性」と「好きになること」の二つを上げることにしている。この点について、芳沢光雄さんも「論理的な表現力こそが算数や数学を好きになる上で本質的なことです」と書いている。

 これからの時代に大切なのは論理的表現力である。ところが日本では、初等、高等教育をとわず、これが軽視されている。日本の数学教育はあまりに寒々としており、おそまつとしかいいようがない。その原因はどこにあるのだろうか。芳沢さんの言葉を引いておこう。

<日本には約700校の大学があり、そのうちの約60校に数学科があります。一方、アメリカには約2000校の大学があり、そのうち約1500校に数学科があります。したがって、その両者の比は1体25になります。

 アメリカに90年代後半にデリバティブで負け、21世紀前半に暗号理論でははるか先を越されている日本の本質は、その比にあることを政治家は気づいていません。もっとも、国会議員の数では、日本は700人強です。したがって、その両者の比は7対5になります。

 目覚ましい発展を遂げているシンガポールでは、閣僚の中に3人の数学科卒業生がいるそうですが、日本で閣僚の中に数学科卒業生が加わるの日はくるのでしょうか>

 日本は先進国では政治家の数が多く、そして異常に数学者の少ない国だ。どうしてこれほど数学軽視がまかりとおるのだろう。それは数学は大学入試くらいにしか役に立たないと多くの人々が考えているからだ。この誤解を解こうとしない日本の数学者にも大いに責任がある。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加