橋本裕の日記
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「なぜ、人を殺してはいけないのか」という質問に対する私の答えは、「人を殺していけないのではなく、人間は本性上、人を殺すことができない存在だ」ということだった。それでは、なぜ、人が人が殺せるのか。その理由は、人間性を破壊する殺人教育がなされているからである。
アメリカ軍で四半世紀近く「いかにして人が人を殺せるか」を研究してきた心理学者デ−ヴ・グロスマンも、「人殺しの心理学」(安原和見訳 原書房 1998)で、「殺すには訓練が必要である」と書いている。
グロスマンは、自分と同種の者を殺す事に対して本来備わった嫌悪が存在するという。人間はこの生まれながらの暴力免疫システムを持ち合わせていて、これを持っていないのは、社会病質人格者だけだ。
戦場においても、人は人間を殺すにはためらいがある。たとえば、ゲティスバーグの戦いで死んだ兵士の2700丁の銃を調べてみると、90パーセントは弾を込められた状態で、発砲してなかった。このように発砲率が低いのは、たとえ自分の命が奪われても、自分が人を殺すことには抵抗があったせいだと推測される。
第2次大戦中でさえ、アメリカ軍の発砲率はとても低く、ライフルを持たされた兵士のたった15〜20%の者しか敵兵を撃つことがなかった。これでは困るということで、グロスマンたちはいかにアメリカ軍の発砲率を上げるか、つまり人が殺せるようになるかを研究した。
その際に理論的拠り所としたのはスキナーのオペラント条件付けの理論だ。つまり、ラットなどの動物に刺激を与えて条件付けをする方法で、感覚や理性を麻痺させて殺人に対する抵抗を奪った。
それからもう一つ、彼が参考にしたのが旧日本軍の教育法である。グロスマンは、日本人はオペラント条件付けの名人だと書いている。
<第二次世界大戦の初期、中国人捕虜は後ろ手に縛られて、溝の中に跪かされた。選ばれた日本人の兵士は溝のところまで行くと、捕虜たちを銃剣で突き殺した。土手の上には数えきれない兵士がいて、荒々しく声援を送るのであった。実際に殺人に関わったのは少人数でも、他の者に見せ、声を出させる事により、人を殺す事、人の苦しみを楽しみと結びつけるように古典的に条件付けることができたのである。この後ですぐに兵士たちは酒、何か月振りかのごちそう、慰安婦が与えられたのである。その結果兵士たちは暴力行為と楽しみを結びつける。知らないうちに、人を殺す事を好きにさせるメカニズムなのである>
グロスマンたちの研究成果があがり、朝鮮戦争では55%の兵士が殺すために発砲するようになり、ベトナム戦争の頃までには90%以上までになった。
しかし、この訓練には人間性を破壊するという恐ろしい副作用がある。こうした訓練は、それまで持っていた道徳観や規範を打ち壊し、暴力に対して無感覚になり、破壊を好み、暴力と死が生きる道となるような価値観を植え付けることになる。
さらにグロスマンは、現在文明社会の子供たちが置かれている状況が、この軍隊での殺人教育と似ている点に警告を発している。子供たちは暴力的な映像や音楽やゲームの中で生活を余儀なくされており、これがまさに殺人のオペラント条件付けになっている。だから、自然の状態では殺人など出来ないはずの子供たちが、平気で人を殺す。これはとても恐ろしいことだ。
元パラマウント映画プロデューサーでエミー賞を受賞しているテッド・ベア博士は、「マス・メディアの悪影響から子供を守る」の中で、グロスマンたちの研究を紹介しながら、次のように書いている。
<誰かが銃で撃たれたり、刃物で刺されたり、レイプされたり、残忍な仕打ちを受けたり、殺害されたりするのを幼い子供たちがテレビで見るのは彼らにとって、あたかも実際に起こったことなのである。
4、5歳位の子供に映画「スプラッター」を見せると、最初の90分は登場人物について理解しようとする。後の30分はその新しい友人が追いかけられ、野蛮に殺されるのをどうしようもなく見ていることになる。
これはモラル、心理学的に、子供に友だちを紹介してあげ、遊ばせてあげた後で子供の目の前でその友だちを虐殺してしまうのと同じ事なのである。このような事が我々の子供たちに対して何度も行なわれているのだ>
<我々の子供たちは、生々しい人が苦しんでいる映像を見て、それをお気に入りのソフトドリンクヤお菓子、あるいはガールフレンドの香水と結びつけているのである。ジョーンズボロの発砲事件の後で、一人の高校教師がその中学校の事件を生徒たちに話した時の反応について述べている。「皆笑っていたんです。」と。
似たような反応は、映画館の中で血なまぐさい暴力を見た後、いつでも起きているのだ。若者たちは笑い、喝采し、ポップコーンを食べ続ける。我々は暴力を楽しみと結びつける野蛮人という世代を育て上げてしまった。彼らは、クリスチャンがコロシアムで虐殺された時、拍手喝采して何か食べながら見ていたローマ人たちと何ら変わりはしない>
http://www.cheajapan.com/magazine/hpyohkawa/4-ted.htm
『「人殺し」の心理学』 デ−ヴ・グロスマン 安原和見訳 原書房 1998
第一部 殺人と抵抗感の存在【セックスを学ぶ童貞の世界】
第1章 闘争または逃避、威嚇または降伏 第2章 歴史に見る非発砲者 第3章 なぜ兵士は敵を殺せないのか 第4章 抵抗の本質と根源
第二部 殺人と戦闘の心的外傷【精神的戦闘犠牲考に見る殺人の影響】
第5章 精神的戦闘犠牲者の本質−戦争の心理的代価 第6章 恐怖の支配 第7章 疲弊の重圧 第8章 罪悪感と嫌悪感の泥沼 第9章 憎悪の風 第10章 忍耐力の井戸 第11章 殺人の重圧 第12章 盲人と象
第三部 殺人と物理的距離【遠くからは友だちに見えない】
第13章 距離−質的に異なる死 第14章 最大距離および長距離からの殺人−後悔も自責も感じずにすむ 第15章 中距離・手榴弾距離の殺人−「自分がやったかどうかわからない」 第16章 近距離での殺人−「こいつを殺すのはおれなんだ。おれがこの手で殺すん だ」 第17章 刺殺距離での殺人−「ごく私的な残忍性」 第18章 格闘距離での殺人 第19章 性的距離での殺人−「原初の攻撃性、解放、オルガスムの放出」
第四部 殺人の解剖学【全要因の考察】
第20章 権威者の要求−ミルグラムと軍隊 第21章 集団免責−「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」 第22章 心理的距離−「おれにとってやつらは畜生以下だった」 第23章 犠牲者の条件−適切性と利益 第24章 殺人者の攻撃的素因−復讐、条件づけ、2パ−セントの殺人嗜好者 第25章 すべての要因を盛り込む−死の方程式
第五部 殺人と残虐行為【ここに栄光はない。徳もない】
第26章 残虐行為のスペクトル 第27章 残虐行為の闇の力 第28章 残虐行為の罠 第29章 残虐行為のケ−ススタディ 第30章 最大の罠−汝の行いとともに生きよ
第六部 殺人の反応段階【殺人をどう感じるか】
第31章 殺人の反応段階 第32章 モデルの応用−殺人後の自殺、落選、狂気の確信
第七部 ベトナムでの殺人【アメリカは兵士たちになにをしたのか】
第33章 ベトナムでの脱感作と条件づけ−殺人への抵抗感の克服 第34章 アメリカは兵士になにをしたのか 殺人の合理化−なぜベトナムでうまく働かなかったのか 第35章 心的外傷後ストレス障害とベトナムにおける殺人の代償 第36章 忍耐力の限界とベトナムの教訓
第八部 アメリカでの殺人【アメリカは子供たちになにをしているのか】
第37章 暴力のウイルス 第38章 映画に見る脱感作とパブロフの犬 第39章 B・F・スキナ−のラットとゲ−ムセンタ−でのオペラント条件づけ 第40章 メディアにおける社会的学習と役割モデル 第41章 アメリカの再感作
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