橋本裕の日記
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2005年02月10日(木) そういうふうにできている

 私の高校では毎朝10分間、早朝読書を実施している。私もこの時間を利用して、この1年間で何冊か読んだ。その中に、出産体験をリアルに描いた、さくらももこさんの「そういうふうにできている」(新潮文庫)がある。

<もう、仕事も遊びもTVも音楽も、何もかも嫌になった。こんなことは生まれて初めてであった。自分の存在すらも嫌でたまらなくなってしまったのだ。居ても立ってもいられない。寝ころんでみても、寝ころんでいる自分をどこかに捨ててしまいたい衝動に駆られ・・・>

<今、自分の存在すらわずらわしくてたまらず、できれば消滅してほしいとさえ思っているのに、ここにこうして居る自分とは一体何なのであろうか。自分では漫画や文章を書いたりしているが、その仕事とは何であろうか。なぜ私は、自分のくだらない考えをいちいち公に垂れ流しているのだろうか>

<オナラが出るのも鼻水が出るのも、ウイルスが体内に入れば熱が出るのも、全部機械のシステムだとしよう。となると、この機械のシステムがホルモンという物質を造って体内に循環させるのも、ヒトの体という機械のシステムがそういうふうにできているからなのである。

 鬱状態の間に、そんなことを考えていた。世の中のあらゆる現象が「なるほどね、そんな仕組みだったのか」と納得がゆくようにできているのだ。フラミンゴが一本足で立っているのも、ナマケモノが木の上でだらだらと怠けているのも、人にとっては無意味な行動に見えるが各々の生命システムによれば必然なのであろう>

 彼女は出産にともなう悪阻、便秘、そして憂鬱な気分など、ありとあらゆる椿事や肉体的精神的苦痛に耐えなければならなかった。この世に一つの命を送り出すということが、どれほど大変で、また疎かにできない人生の一大事であるかを、ユーモアとペーソスを交えて書いている。私はこの本を毎朝10分ずつ、3ケ月ほどかけて読んだあと、クラスの生徒にこう言った。

「この本はとても面白くて、ためになるよ。出産のお話なんだけどね、先生も知らないことがたくさん書いてあった。でも、これはとても大切なことだな。女の子だけではなく、男の子にも絶対に読んで欲しい一冊だね」

 この本を読みながら、私の脳裏に、もう20年以上も前の淋しくて辛い思い出が甦った。その中心にあるのは、新婚当時の不機嫌でだまりこくっていた妻の顔だ。私はちょっとたじろいだが、やがて、その若い妻の顔が、少し違った風貌で見えてきた。

 妻が妊娠したとき、私は妻に対して冷淡だった。妻の不機嫌や厭世的な言動を、私への不満やあてこすりだと思っていた。そして私自身不機嫌になり、当時の日記に妻の悪口を書いた。妻のことを「悪魔」とさえ書いたことがある。

 その日記は2年前に焼却処分をしたが、一部はデジタル化してHPに残してある。そのあとがきにも書いたことだが、この時期は私たちに夫婦にとってたいへんつらい試練の時だった。私は妻との離婚を考えて、実際離婚届を妻に渡し、腹の中の子どもを堕胎するように迫った。

 応じようとしない妻を、私は裁判所に訴えた。実際、私は何度か裁判所で妻と顔を合わせている。そして妻に長文の手紙を送り、すみやかに離婚するように迫った。これに対して、妻は始終無言だった。ただ相変わらず不機嫌に押し黙っているだけだった。その様子が、私にはふてぶてしくてならなかった。

 さくらももこさんの本を読んでいて、新たに思い出した過去のシーンがある。裁判所の帰り、私は地下鉄の駅へ歩きながら、前を歩いていく妻に気付いた。ゆっくりしたおぼつかない足取りだった。

 妻との距離が接近してきたが、私は妻と肩を並べたくなかった。そこで、後をゆくくり歩いた。妻は私の存在に気付かないまま、大儀そうに地下鉄の階段を下り、電車に乗った。妻とは別の車両の座席に腰を下ろした。私はこのときも、離婚を拒否する妻に同情よりも不満を感じていた。

 しかし、妻はこのようにして胎内の子どもを守ったのである。そして私の要求を拒絶したまま出産した。その長女が大学生になり、この春卒業をむかえる。いま、冷静に振り返ってみて、理不尽だったのはどちらだったのだろう。「悪魔」は妻ではなく、私自身だったのかも知れない。

 私は沢山の本を読み、その中には古今東西の名作もあった。哲学や科学の難解な本もあった。しかし、私はそのころもっと大切なことを知らなかった。それは女性がどんな思いをして子どもを身ごり、この世に送り出し、そして育てあげるかということだ。その知識がないと、ときにはとんでもない悲劇がおこる。

 長女が生まれて、1年もした春の日、妻が長女を連れて、私のアパートにやってきた。多くを忘れている私だが、この日のことはよく覚えている。さいわいに、初対面の長女を見た父親の感想が、1983年の日記に残されている。

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4月8日(金)
 妻がアパートへ娘を連れてやってきた。やがて一歳になる長女はなかなかかわいい。

 近所でタンポポを採取して、鉢に入れた。タンポポには在来種と外来種の二種類あることを知った。これを高校に持っていくつもりだ。4月から勤務先が変わった。名古屋市の夜間高校で理科を教えることになった。タンポポはその教材である。

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http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/mukasi82.htm


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