橋本裕の日記
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2005年02月09日(水) 人間の本性

 数日前から、「人間の本性を考える」(スティーブン・ピンカー著、NHKブックス)という本を読んでいる。副題に、「心は空白の石版か」とある。そしてこんな紹介文が裏表紙に書いてある。

<豊かな人間本性の発見が、平等、進歩、責任、人生の目的を損なうどころか、むしろ向上させることを明らかにし、心を「空白の石版」とみなす相対主義思考が、普遍的な人間性や生得の特性を否定することで、硬直した人間観、社会観につながることを明解にとく>

 上、中、下と3巻に別れていて、読むのはそう容易ではないのだが、半分ほど読んだ印象ではそれほど「明解」に書かれているとは思えない。かなり内容が錯綜しているからである。それでも著者の意図がどこにあるのか、たとえば次のような文章を読むと何となくわかりそうである。

<平等の名のもとにおこなわれている不平等な扱いには、さまざまなものがある。その一部、たとえば金持ちからしぼりとる税金、高い固定資産税、学業成績ではなく年齢によるクラス分け、特定の人種や地域に有利な割り当てや優先枠、私費医療やその他の自主取引の禁止などは、擁護する人もいれば非難する人もいる>

 著者は「擁護する人もいれば非難する人もいる」と中立を装いながら、実際は「平等の名のもとにおこなわれている不平等な扱い」に不満を持っているらしいことは想像がつく。そして、こうした「不平等」が生まれてくる根本に「空白の石版」の相対主義思考があるというわけだ。著者はまた、こうも書いている。

<もし人間がブランク・スレートで、社会の差別がすべて取り除かれていたら、もっと貧しい人は、自分のもっている標準的な才能をあまり活かさない道を自分でえらんだにちがいないから貧しくてもしかたがない、と言われるだろう。

 しかし、才能に個人差があるなら、偏見のない社会でせいいっぱい努力をしても貧しいという場合もありうる。それは不正義だから修正されるべきだとロールズ派の人は言うだろうが、それは能力に個人差があるという認識がなければ、見過ごされてしまうだろう>

 著者の意見や思考に不満や疑問を覚えながらも、それでも読んでいて啓発されるところがいろいろとあり、最後までしっかり読んでみようと思う。私はロックのいう「空白の石版」の相対的思考を高く評価しているが、ピンカーが主張するように、これが行きすぎると、パブロフやスキナーのような「人間の本性を否定する」理論が出てくるからだ。

 これまで読んだところで、私がこれはと思ったのは、「人種差と個体差」についてのピンカーの指摘である。人種による遺伝子の差異と、おなじ人種の人たちのあいだの遺伝子の差異を比べてみたとき、多くの人たちは人種による差異が断然大きいと思っているが、これはまったく間違った先入観だという。

 たとえば、アフリカの黒人と日本人の私の遺伝子はもちろん差異がある。そしてこの差異が肌の色や髪の毛や外貌に歴然と現れている。この差異に比べれば、同じ日本人である私と私の友人のA君の差異などはるかに小さいように思える。

 ところが、遺伝子のレベルで見ると、そうではないのだという。実のところ、人種間による遺伝子の差異はそれほどではなくて、むしろ個体差による違いの方が大きい。遺伝的に私に近いのは、隣りのA君ではなく、地球の裏側に棲んでいる黒人のB君である可能性があるわけだ。

 これは意外なことだが、少し冷静に考えてみれば理解できることである。たとえば、遺伝性の白血病を患っている人は世界中にいる。これは国境や人種を超えて白血病の遺伝子を共有しているからだ。この遺伝子に関しては、隣のA君よりも、地球の裏側のB君のほうが遺伝的に近いことがありうるわけだ。

 そしてこうしたことは、多くの遺伝子で起こっていることである。皮膚の色や体形の違いは、比較的最近人類がそれぞれ棲んでいる気候風土に適応した結果で、それは外見的に目立っているが、遺伝子の差異という点では微小な変化でしかない。つまり、歴史的に言うと、「個体的差異」が先にあって、そのあと地域への適応化による「種族的差異」が、その上側に包装かメッキをするようにして生じたわけだ。

 このように、遺伝子レベルでものごとを捉えると、意外なことが見えてくる。私たちが人種とか民族とか呼んでいるものは、「血縁」というものを中心にしている。しかし遺伝子的に見ると、私たちの同胞は何も狭い血族のなかにいるわけではなく、世界中にグローバルに分布していることがわかる。

 ピンカーのこの指摘はとても啓蒙的である。人種による差異よりも個体差の方が大きいという生物学的な事実を知っただけでも、この本を読んだ価値はある。こうした生物学的事実を直視することで、私たちの心はさらに自由で偏見のない世界へと導かれることだろう。

 多くの人は、とくに進歩的と自らを見なしている人は、遺伝子を基盤とする生物学的事実に対して、ある種の疎ましさと警戒心をもっている。しかし、生物学的事実は何も保守派を元気づけるだけではない。それはむしろ進歩的な思想をさらに客観的なものにするために必要なものである。実のところ、ピンカーのこの本に私が期待しているのは、このような良質で公正な知見である。


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