橋本裕の日記
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2005年02月08日(火) 無常のたのしみ

 吉田兼好の「徒然草」が好きで、手の届くところに置いて、ときどき読み返している。まさに、「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」(13段)という思いがする。

「しづかに思へば、よろずに過ぎしかたの恋しさのみぞせんかたなき」(29段)という文章を読んでいると、むかしの出来事や別れた人のことが自然に思い出され、懐かしい追憶にしばらく心をゆだねたりする。

 私にとって「徒然草」はまさに「お経」のようなもので、これを読むと心が慰められ、そして何か広々とした懐かしい世界に誘われるようである。そこで私の精神はくつろぎ、安らぎを覚える。いくつか文章を引いてみよう。

<世はさだめなきこそ、いみじけれ>(7段)

<名利につかはれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ>(38段)

<まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん>(38段)

<世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、おほくは皆虚言なり>(73段)

<つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ>(75段)

<偽りても賢を学ばんを、賢といふべし>(85段)

<一日の命、萬金よりも重し>(93段)

<人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや>(93段)

<病を受くる事も、多くは心より受く>(129段)

<人に勝らんことを思はば、ただ学問して、その智を勝らんと思ふべし>(130段)

<我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし>(134段)

<花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは>(137段)

<萬の事も、始め終わりこそおかしけれ>(137段)

<若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり>(137段)

<身死して財残る事は、智者のせざる処なり>(140段)

<子故にこそ、萬のあはれは思ひ知らるれ>(142段)

<老いて智の若きにまされる事、若くして、かたち老いにまされるが如し>(172段)

<一事を必ずなさんと思はば他の事の破るるをもいたむべからず>(188段)

<匂いも、ものの音も、ただ夜ぞ、ひときはめでたき>(191段)

<身をも人をも頼まざれば、是なるときはよろこび、非なるときはうらみず>(211段)

<大欲は無欲に似たり>(217段)

<虚空よく物を容る>(234段)

 こうした滋味のあふれる上質な文章を読んでいると、自分のこころも自然とやわらかくなり、ゆったりと広がっていくようである。あるいは、美酒にほどよく酔ったような上機嫌な気分になる。まさに「お経」の功徳というものであろう。

 私は「徒然草」を貫いている思想は「世はさだめなきこそ、いみじけれ」(7段)の一言に要約できると思っている。単なる「諸行無常」ではない。「色即是空」ではない。むしろそこから「空即是色」へと立ち上がっている。

<私は大地はたえずさまざまな変遷や変化や生成などがあるからこそ、高貴でありみごとだと考えています。(略)

 不滅性や不変性といったものを称揚する人たちは、かみ砕いて言うなら、いつまでも生きつづけたいという願望や、いつかは死ぬという恐怖のためにそう言っているのだと思います>

 これはガリレオが「天文対話」のなかで語っている言葉である。吉田兼好とガリレオ、私の尊敬する東西の智者が、人生についてほとんど同じことを語っている。


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