橋本裕の日記
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人間の心が「白い石板」だとすると、私たちはそこに自由に書き込みをすることができる。しかし、この自由は諸刃の剣になるということを書いた。今日はこの話題について、もう少し補足しておこう。
ロシアのパブロフは、犬に餌を与えながらベルを聞かせると、学習によりベルを聞くだけで唾液がでるようになることに気付いた。そして、人間も又こうした条件付けによって、その習性や行動をかえることができると考えた。
アメリカでも同様な実験が行われている。スキナー(1904〜1990)はレバーを押すと餌が出る装置を使ってラットやハトに新たな行動を学習させた。そして人間の行動も条件付けによってより高度に組織できると考えた。つまり、人間の行動はその結果に支配される。罰や報酬といった外的な要因を用いることで、人間は如何に生きるのがよいかを学習するわけだ。
こうした考え方の基本にあるのは、動物の行動でさえ変えられるのだから、人間の心はもっと自由に操作できるという思想である。これがロックの「白い石板」を源流とする「自由主義教育理論」のひとつの帰結だった。
もちろんここで問題になる「自由」は「思想信条の自由」ではなく、「人間をどんな存在にでも創り上げる自由」である。スキナーのプログラム学習の理論は大変効率的で、これを用いれば短期間にかなり優秀な人間をつくり出すことができる。
現に、私が勤務した三河の県立高校の校長は、職員会議でよく「スキナー」を話題にした。「スキナーを読みなさい。そこにみんな書いてある」というのが口癖だった。スキナーは「強化の随伴性」という著書でたとえば次のように書いている。
<私は生理学的なアプローチを否定しない。やがて生理学が進めば、心理学的なプロセスは生理学的な事象によって説明可能になるだろう。しかし、その事象の根本的な仕組みが脳ではなく、有機体と環境の相互作用にある以上、そうした生理学的なプロセス・事象の仕組みは結局、行動分析的な意味・心理学的な意味で説明されているだけだろう>
たしかに当時私の勤務したこの学校では、実践と実験がすべてだというプラグマチックな行動主義心理学(スキナー理論)にしたがって、短期間に規律によく従い入試にも強い生徒を大量に生産することに成功している。
スキナーの刺激-反応という図式によるプログラム学習の理論は、その手順が明解で、強力である。一概に否定すべきものではなく、これはこれでかなり有用である。しかしその有用さが、親や教師が自分に都合の良い人間をつくり出すのに用いられると問題である。
さらに問題なのは、これが受験戦争や出世競争に勝ち抜くためばかりではなく、権力が自分に都合のよい人間を大量生産するときに用いられるときだ。なぜならスキナー理論は「有用さ」を追求するが、それが「誰にとって有用であるか」を問わないからだ。
スキナー型教育装置が創りだした人間の将来がどういうものか、その実例を私たちはアメリカや日本に多く見かけるようになった。スキナーの理論で人間を優秀なロボットにすることはできるかもしれないが、人間をほんとうに幸福にすることができるだろうか。こうした実験に教育者として荷担し、いまも恐らく荷担しつつある者として、いささか不安である。
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