橋本裕の日記
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悪しき国家主義の背景にある「社会ダーウィニズム」をどのように乗り越えていったらよいのか。これにはいくつかの方法が考えられる。ひとつは芸術や文化による方法である。よき芸術や文化は、人々の心に潤いを与え、人々をひとつに結びつける。
そして人々に、社会ダーウィニズムとはまた違った人生観や思想があることを生き生きと実感させてくれる。イギリスにはシェークスピアが、フランスにはロマン・ロランが、ドイツにはゲーテがいるし、ロシアにはトルストイやドストエフスキーがいる。
こうしたすぐれた古典を読めば、私たちはそこに展開されている天才作家たちの深い人生洞察と人間愛に打たれるだろう。彼等の力強い理想主義や博愛主義をわがものとするとき、「社会ダーウィニズム」はもはや虚妄でしかない。
しかし、ここに一つの問題がある。社会ダーウイニズムのはびこる現代社会で、古典は忘却され、芸術や文化がこの健康な人間的力を失いつつあることだ。豊かな人間愛をたたえた古典のかわりに、私たちは芸術にもっと別の刺激を求めるようになってきた。
それはセックスや犯罪に対する刺激である。血なまぐさい殺人や戦争さえも、人々はときとしてこれを快楽として受け入れる。そして現代芸術のなかには、不条理や背理に身を委ね、虚無に親しむことを喜びとするものさえある。
現代という時代が、文化的にどのくらい不毛であるか。このことに気付いている人はほとんどいない。そしてこの文化の不毛が、現代人をどれほど歪な存在にしているかについて自覚している人も少ない。その少ない自覚者のひとりである美輪明宏の言葉を、北さんの雑記帳から孫引きしておこう。
<ボロ布で作ったような安っぽい服、コンクリートだらけの灰色の街。美からはほど遠いものに囲まれているから、人の心も荒れ、生活も言葉も態度も荒れてくるのです。だらしない、怠け者ばかりの世の中にしたのは、それらを作り出したデザイナーたち。美を作り出すのが商売なのに、醜ばかりを作り出している。この世の諸悪の根源は、デザイナーたちにあると私は思っています>(愛の話、幸福の話)
<音楽で映画が表現できるくらいに美しいメロディがあった。ところがいまは、メロディラインを書ける作曲家がいなくなったから、ミュージカルの傑作もできなくなった。これは黒人文化のせいです。彼らの音楽はリズムとハーモニーだけだから。ラップなんていったらメロディは何もないでしょう。不信心者のお経みたいに。だから、美しさがなくなった>(人生ノート)
<軍国主義で文化を壊して、終戦後、経済効率だけで考えるようになってしまった。磯崎新も安藤忠雄も丹下健三も、作っているのは、ただの無機質な箱>(天声美語)
文学や芸術がそのゆたかな人間力を失うとき、私たちは社会ダーウィニズムにたいする一つの有力な砦を失うことになる。この問題にもっとも敏感な先覚者のひとりがトルストイだった。晩年のトルストイは文学や芸術がついに無力であると考え、宗教的なものに傾倒していった。
私はトルストイほど絶望はしていない。芸術は堕落し、文化は衰弱しつつあるが、まだまだ人間的回復力を秘めていると思っている。それは私たちには古典という大きな財産が残されているからだ。
私が「万葉集」に出会ったように、いつか人々は古典とであうに違いない。そして遠くない将来、再び過去の巨匠たちの創造した文化や芸術が見直され、新たなルネッサンス(文芸復興)の時代がやってくるのではないかと思っている。
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