橋本裕の日記
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| 2005年01月31日(月) |
社会ダーウィニズムの恐怖 |
19世紀後半にイギリスの社会学者ハーバード・スペンサー(1820〜1903)はダーウィン進化論の「自然淘汰・適者生存」という考え方を、人間社会のあり方を説明するのに用いた。人間の社会もまた、熾烈な生存競争をくりひろげており、適者が生き残ることで進化するというのである。
スペンサーのこの理論は「社会ダーウィニズム」と呼ばれる。そしてこの理論はイギリスからアメリカに広がり、またたくうちに、世界の思想界を席巻した。なぜなら社会ダーウィニズムこそ、当時の列強の帝国主義的な植民地支配を説明し、そしてこれを正当化する理論だったからだ。
社会ダーウィニズムの考え方は、「強い者が勝つ」「優秀なものが勝つ」「強い者が優秀な者である」ということである。そして、「弱者は強者に従わなければならない」という強者に都合の良い「支配と服従」の論理である。
この考え方によれば、裕福者が手にしている富は彼等の生存競争における成功のしるしだということになる。富者であることは成功者であることであり、人間はだれしもこうした成功者になることを夢見て競争し戦わなければならない。
この考え方は日本でも受け入れられた。そしてここから生まれたのが「富国強兵策」である。列強によって植民地にされたくなかったら、経済を発展させ、軍備を整えなければならない。つまり、自らも列強の一員とならなければならない。
こうした考え方は、人々を容易に国家主義者にする。日本の場合は、市民革命の経験はなく、個人の人権などという考え方もなかったので、人々はこぞって「国家主義者」となり、「忠君愛国」をとなえるようになった。
たとえば、東京帝大の初代学長で明治期の日本を代表する啓蒙思想家だった加藤弘之(1836〜1916)の場合をみてみよう。彼は「天賦人権論」を掲げて、「立憲政治」の必要性を人々に訴えていた。ところが、社会ダーウィニズムの思想に触れるやいなや、すばやくこれに転向している。
斎藤貴男さんの「安心のファシズム」によると、1882年に出版された「人権新説」で加藤は民権にたいする国権の優位をとき、自らの唱道した「天賦人権論」を「妄想に過ぎない」と断じているという。
1893年に出版された「強者の権利の競争」では、「凡そ吾が権利は一に社会における競争の結果によりて強者の権利より生じ来るものに外ならず」と書いている。民権論から国権論者への見事な変身というべきだろう。
加藤は「社会ダーウィニズム」をただ受け入れただけではない。受け入れたからには、「日本はいかにして強者になるか」ということに解答を与えねばならない。加藤たちはやがて一つの解答を見つけた。それが「天皇制」だった。斎藤貴男さんの本からふたたび引用しよう。
<日本独自の文化を活用した弱者から強者への変身が模索され、ついに編み出されたウルトラCが、天皇に対する「忠誠競争」による国力の強化というシナリオだったという。道徳進化を促すメカニズムとして「自力淘汰」の表現が充てられ、本質的には利己的である個人の適者生存への本能を忠君愛国に向かわせるためには、個人と国家のそれとが完全に一致していると思い込ませる誘導が図られていった>
「忠誠競争」というシナリオを発見した加藤弘之は、「武士道」への言及が多くなっていく。折りしも1899年に新渡戸稲造が「武士道」を書いた。そして1905年の日露戦争で「武士道」がもてはやされた。
今年は日露戦争から100年目である。そして数年前からふたたび新渡戸稲造の「武士道」が書店にならびはじめた。アメリカを中心に「社会ダーウィニズム」の風はいまなお世界に吹き荒れている。
<再び社会ダーウィニズムの受容を強いられた日本人が、一世紀前と同じ反応を示している。ただしグローバリゼーションの受容の思想が行き渡り、正義とは金のことであり、アメリカこそが至高の価値であるとする考え方が浸透してしまった現代の日本では、加藤の時代ほどの葛藤は感じられない。むしろ積極的に、アメリカ発の人種差別剥き出し社会ダーウイニズムを丸ごと受容していくプロセスを歩んでいるように見える>
社会ダーウイニズムが何を招来したか、20世紀の歴史が雄弁に語っている。しかし、その証言者も次第に少なくなり、記憶も薄れつつある。こうした忘却症にくわえて、過去の歴史を美化する動きまである。我が国でも「競争こそがすべてである」という「新自由主義史観」のもとで歴史が捏造され、ふたたび私たちは戦争への道を歩もうとしている。
それではなぜ、こうまで社会ダーウイニズムが人々の心を支配し続けるのだろうか。はたしてこの思想に科学的根拠があるのだろうか。私の見るところ、これまで社会ダーウイニズムにたいする有効な理論的反撃が為された形跡はない。
むしろ経済学も政治学も、そのほとんどがこれに汚染されている。この現状を変えていかなければ、人類は幾たびでも同じ愚行を繰り返し、ついには地球全体をホロコーストの舞台にするだろう。
悪しき国家主義の背景には「社会ダーウィニズム」がある。悪しき国家主義は社会ダーウィニズの所産である。しかし、その悪しき現実がこの思想にふたたび活力を与えている。この悪循環に気付き、この輪廻の世界から離脱する智慧に、私たちはそろそろ目覚めなければならない。
(参考文献) 「安心のファシズム」 斎藤貴男 岩波新書 「近代日本における社会ダーウィニズムの受容と展開」 鵜浦裕 東京大学出版会 「アメリカ研究社会科学的アプローチ」 榊原胖夫 萌書房
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