橋本裕の日記
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昨日は司馬遼太郎などに代表される良質な国家主義の話をした。今日はおなじ国家主義でも、これはちょっと困るという粗悪な国家主義の話をしよう。ヒットラーや東条英機などの顔が浮かぶ。その特徴を列記すれば、たとえば次のようになる。
国民に迎合するポピュラリストであり、または煽り立てるアジテーターである。自国の立場を絶対視するナショナリストで、また自民族の優秀さを誇りに思い、他民族を蔑視するレイシスト(人種差別排外主義者)である。個人の自由や人権を蹂躙することを何とも思わないファシスト(全体主義独裁者)である。
これにあてはまるのは、現代の政治家では石原慎太郎だろうか。1973年7月、石原慎太郎や森喜朗、山崎拓、渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一など、自民党のタカ派議員31人が「青嵐会」を結成した。全員が趣意書に血判を押し、一命を賭して結束を誓った。まるで、軍国主義時代の青年将校達のようだといわれたものだ。
青嵐会は田中角栄の中国国交正常化の際、自民党内で最も反発した。田中角栄は青嵐会の「中国との国交正常化とは共産主義の売国奴の戯言にすぎない」という主張を斥け、右翼に狙われながら、それこそ「命をかけて」中国訪問を決断し中国との国交を結んだ。
現在、日中の貿易高は日米をしのいでいる。最近の日本経済を支えているのは中国特需だといわれている。日本が国際社会の中で生きて行くには、アメリカや中国と協調して行くしかないないとして青嵐会の主張を斥け、日中友好へと大きく梶を切った田中角栄の方が、政治家としてよほど熟していたというべきだろう。
そうした中で、石原慎太郎はいまだに、 「アメリカと中国が日本を破壊しようとしている。中国を分裂させて日本の勢力圏を築き、アメリカに対抗せよ」という戦時中の「大東亜共栄圏」のようなたわごとを言い続けている。こういう人物がマスコミにおてはやされ、茶の間の人気者となって日本の首都で知事をしているのかと思うと背筋が寒くなる。
石原は75年に都知事選に出たが、美濃部に惨敗した。その後運輸相など歴任したものの、それでも田中支配が横行する自民党で、肩身の狭い鬱屈した思いを抱いていたにちがいない。ところが、自民党に「神の国」発言を繰り返す森政権が生まれるなど、時代の風向きが違ってきた。石原も又この風に乗った。
1999年4月、石原は念願の都知事になると、青嵐会ばりの国粋的な政策を打ちだし、パホーマンスを始めた。翌2000年9月3日、東京銀座の大通りを自衛隊の装甲車がものものしくパレードをした。石原知事はこのとき、「外国の侵犯にも自ら対応できる気概をもて」と挨拶し、一国の指導者を気取って意気軒昂だった。
石原知事は、さまざまな場面で挙手の例をしてみせるという。これは石原知事が子どもの頃人気のあった「軍人さんごっこ」の影響ではないかという人がいる。いまだに石原知事は「軍国少年」のままだというわけだ。
石原慎太郎の望みは、一言で言えば、「日本を戦争の出来る国にすること」だろう。そのための憲法改革であり、教育改革である。今、東京都の学校で起こっていることは、戦前の日本とそっくりだという。このままでは石原知事の好きな「軍人さんごっこ」が「戦争ゴッコ」にエスカレートしないとも限らない。
良質な国家主義は良質な個人主義とかわらないという話をしたが、実は、悪質な国家主義こそは悪質な個人主義とかわらない。変わらないどころか、実はそれは救いようのない利己主義そのものである。
ウルトラ国家主義者が、じつは自己肥大をしたウルトラ利己主義者であり、自己陶酔型のナルシストであることは一目瞭然だろう。彼等が国家の尊大さとその洋々たる前途について語るとき、じつは自己の尊大さと野望について語っているのである。
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