橋本裕の日記
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個人主義に粗悪なものと良質なものがあるように、国家主義にも粗悪なものと良質なものがある。私自身は個人主義者だが、たとえ国家主義者でも、良質なものについては評価し、ときには尊敬さえする。
たとえば、明治の元勲の伊藤博文などは、良質な国家主義者として、ずいぶん評価しているし、それにこの人のことは調べれば調べるほど好きになる。最近の人では、国民的作家として人気のある司馬遼太郎がそうだ。
司馬遼太郎を国家主義者とみることについては異論もあろう。しかし、四十代に書かれた「坂の上の雲」などを読むと、まさにそこに描かれているのは「良質な国家主義」の世界だ。国家主義の美点をこれほどまでに雄弁に描いた作品はない。
もっとも、私が評価するのはその「良質さ」であって、「国家主義」の方ではない。しかし、司馬遼太郎ファンを自任する人の多くは、「国家主義」の方が好きなようだ。とくに日露戦争で活躍した英雄群像を描いた「坂の上の雲」のファンには、そうした傾向が多いのではないだろうか。
悪しき国家主義は軍国主義を招来する。司馬さんもこのことをよく知っていた。だから、彼は再三の「映像化」の誘いをきっぱりと断って、こう書いている。このことを論じた北さんの1月24日(月)の雑記帳<「坂の上の雲」映像化の問題>から孫引きさせて貰おう。
「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳すると、ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しているように誤解される恐れがありますからね。私自身が誤解されるのはいいですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです」
ところが、この司馬さんの遺言が覆ることになった。著作権継承者である司馬夫人の福田みどりさんが、数年悩んだ末に許可を決めたのだという。彼女の言葉を、これも北さんの雑記帳から孫引きさせていただく。
「私の死後に勝手に映像化されるより、ちゃんとした作品を今作ってもらうことにした。司馬さんが描いたよき人、よき日本人の話をドラマ化することで、このいやな国になってしまった日本が、もう一度よき日本になってもらいたい」
映像化を決定した海老沢前会長は「国家や民族のあり方が問われる時代に、単なるドラマを超えた映像作品を目指す」と述べている(朝日03.1.10)。映像化の趣旨についてもう少し詳しいことが知りたくて、NHKのHPを覗いてみた。そこにはこう書かれている。
<平成19年度(2007年度)以降の放送に向け、司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」を原作として、21世紀スペシャル大河「坂の上の雲」の制作を開始します。この作品は大河ドラマを超えるスケール感のあるスペシャル大河 として、21世紀を代表する作品のひとつを目指し、NHKが総力をあげて取り組むものです。(略)
この作品に対する司馬遼太郎の歴史観や思いが放送で十分伝わるように、関係者の意見を聞き、議論を尽くした上で制作にあたりたい、場合によっては放送開始時期がずれることがあってもかまわない、という心構えで準備を進めたいと考えています。
司馬文学の真髄ともいえる「余談ではあるが・・・」的な時空を超えた縦横無尽な表現方法を生かし、「街道をゆく」「空海の風景」などの番組制作でも試みたような最新のデジタルハイビジョンで画期的な映像表現を駆使して、雄大なスケールで描きます。
放送は、平成19年度(2007年度)以降に、総合テレビやハイビジョンなどで1回・75分、20回程度を予定しています>
私はNHK大河ドラマこそ日本を悪くしたものの象徴であり元凶だと思っている。司馬遼太郎の理性的で抑制の利いた良質の国家主義も、NHKの手にかかればとんでもない悪質で非民主的・権力的な「国家主義」に変貌すること請け合いだ。
そして、こうした歴史の捏造には、司馬遼太郎の「坂の上の雲」はまさに打ってつけの作品だといえる。これでまた、この国に悪質な国家主義が幅をきかすことになるだろう。司馬さんが生きていれば絶対に許さなかっただろう。
良質な国家主義者のことを書いたので、良質な個人主義者のことも書いておこう。その代表として、真っ先に私の頭に浮かぶのは、やはりなんといっても白樺派の武者小路実篤や志賀直哉であり、彼等が私淑した夏目漱石である。漱石の「私の個人主義」から引用してみよう。
<ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように言いふらし、またそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ、国家が亡びるようなことを唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿げたはずは決してありようがないのです。事実私どもは国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります>
<元来国と国とは辞令はいくらやかましくても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それがたいへん高くなってくるのですから、考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義に、やはり重きを置くほうが、私には当然のように思われます>
漱石は「私どもは国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもある」と述べている。結果において、良質な個人主義は良質な国家主義とあまり変わらない。違いは紙一重かも知れないが、私自身は「良質な個人主義」に、人生の足場をおいておきたいと思っている。
(参考サイト) http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/
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