橋本裕の日記
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2005年01月25日(火) 名門を食い物にした一族

 2004年11月21日午前、山形県温海町の海岸で男の水死体がみつかった。遺体はコクドの総務部次長(54)だった。次長はコクドで株式事務を担当しており、西武鉄道による大株主保有比率の虚偽記載問題に関連して、証券取引等監視委員会から任意の事情聴取を受けていた。

  たとえ自殺だとしても、彼を死に追いつめた巨大な力があったことは事実だろう。「噂の仕置人」こと、フリージャーナリストの草野洋さんは「シリーズ西武」のなかで、次のように書いている。

<「西武鉄道」のある役員は「義明さんは太陽で、あとはみんな石コロだよ」と言った。お茶を運んできた女性秘書は、床にひざまずいて差し出す。西武が開発した"鎌倉霊園"には、毎年元旦にはグループ幹部500人が、先代の墓前に手を合わせる。

そして「感謝奉仕」の社是を引き継ぐと称して西武グループの「奉仕当番」だ。これは西武グループの誰かが、毎日2人か3人で墓地の横にある休憩所に泊り込む。各自手弁当でこの墓地に出勤して清掃する。

 これは狂信的な宗教団体のようなもので、義明のこうした前近代的な君主制は何によって培われたのだろう>

 日本の家庭や職場には、まだたくさんの「君主制」がのこっている。そしてその象徴が、西武グループに君臨した堤義明だろう。西武には戦争中の日本とおなじ狂信的な精神構造がそのまま残っている。これは北朝鮮と少しも変わらない。

 堤義明の権力の源泉は世界一とも言われた巨大な資産である。堤はこれを有効に使って、権力に接近した。元首相の小渕恵三(故人)は草野洋さんに、「義明さんは大物だよ。われわれがゴルフに行くと、何人連れていってもタダでやらせてくれて、プリンスホテルに泊まらせてくれるよ」と言ったそうだ。

 日本の政治家は金に弱い。堤は西武鉄道や西武球団、プリンスホテルのオーナーであるばかりではなく、ある意味で自民党のオーナーでもあった。だから彼の主宰するパーティに元首相や現役首相がこぞってやってくるわけだ。

 政治家の権力は長続きはしない。国会議員は落選すれば「ただの人」である。しかし、堤義明の権力は世襲であり、それは次の世代へと受け継がれる。つまり、ある意味でそれは死後にも残る永久的なものだ。その象徴が鎌倉霊園の堤家の墓だろう。

 先代の堤康次郎は滋賀県の農家の出身である。それが戦後のどさくさにまぎれて一代で財を築いた。財を築いたばかりではない。国会議員になり、衆議院議長という最高権力機関の長にまで上り詰めている。

 堤康次郎は自らの出自に対するコンプレックスの裏返しか、異常なまでに「皇族」や「華族」にこだわった。具体的に言えば、戦後落ちぶれた「宮家」や「華族」の財産に目を付けて、これの買収に執念を燃やしたのである。そしてそのあとに立てたのが「プリンスホテル」である。

 明治天皇は「北白川の宮」、「竹田の宮」、「東久邇の宮」、「朝香の宮」の4人の皇女に約4万坪の土地を持参金としてもたせた。堤康次郎はこれにねらいをつけた。たとえば、北白川家の約4万平米の高輪の土地は衆議院議長に就任した2ヵ月後に手に入れて、ここに「新高輪プリンスホテル」を建てた。「赤坂プリンスホテル」などもそうである。

 宮家のほかに、彼は旧財閥系の土地も買収した。旧財閥の岩崎小弥太(三菱財閥)の持っていた伊豆長岡の別邸を調査もしないで言い値で買い取ったという。こうして堤康次郎はあくなき貪欲さで「名門」に接近したが、彼自身は名門にはなりきれなかった。

 63年の衆議院選挙で堤康次郎は2位の宇野宗佑を7000票近く引き離して7万8300票余りを得票してトップ当選を果たした。しかし、この選挙で彼はなりふり構わぬ買収作戦を展開し、選挙違反史上最高の103人という逮捕者をだした。草野洋さんの「シリーズ西武」から引いておこう。

<この違反で検挙された者は237名、起訴された者120名、有罪が100名、無罪が5名、病気で審理が停止した者3名、病気で公判棄却が12名など。その内訳は驚くなかれ市の選挙管理委員長から市教育長、市町村長が9名、県議6名、前・元県議8名、市議22名などの地方名士がぞくぞく顔を揃えた前代未聞の選挙違反事件だった>

 康次郎は1964年5月18日の初公判前の4月に74歳で他界した。跡をついだ義明は先代の失敗から何を学んだのだろう。70歳になった彼も先代と同じ過ちを犯して、悪名だけを残して舞台から去ろうとしている。


橋本裕 |MAILHomePage

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