橋本裕の日記
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2005年01月13日(木) 戦後教育悪玉論の虚妄

 「戦後教育悪玉論」が流行している。若者もふくめて現在の日本人の自己中心的なモラルの崩壊した現状は、戦後の民主主義教育や個人主義教育が行きすぎたせいだという。

 たしかに、自由にともなう責任の大切さを教えなかったのはまずかった。しかし、基本的には、民主的で自由な教育が子供をダメにしたのではなく、むしろ民主的で自由な人権教育が充分になされなかったことが問題だと捉えるべきだ。

 民主的で自由な人権教育が充分できず、自由に伴う責任についてもしっかり教えることができなかったのは、教師も親も「民主主義」や「人権」というものがどういうものかほとんど理解していなかったからだ。そして、現在も誤解している人の方が多い。

 私たちの世代は、建前の上では、戦後の民主教育の洗礼をうけている。教師はやはり戦時中の教育を受けた人が大半だから、頭の中で切り替えができなかった人もいた。戦後の教育が喧伝されるほど立派な「人権重視」の「民主的教育」であったかどうか、おおいに疑問である。

 たとえば私たちは中学、高校と坊主頭だった。高校の体育の授業では上半身裸になって、雪の上で腕立て伏せを強制されられたものだ。インフルエンザがはやっていて、体調が悪い同級生も何人かいたが、先生は「文句をいうな」と聞く耳をもたない。

 大学受験を直前に控えたある日、一人の同級生が座り込みをした。私も彼の横に坐った。坐った5,6人は放課後、教官室に呼ばれて、先生からお説教をくらった。

「人生には3つの大切なものがある」という立派な話である。しかし、私は、「威張ってばかりで、他人をおもいやることもできない教師がなにをいうか」と心の中で反発した。さいわい、次の時間から雪の上での裸体トレーニングだけはなくなった。

 思い返して、いやな思い出がある。高校の水泳の授業で、足の立たない深いプールで、全校生徒がクラスごとに一斉に泳がされた。有無を言わず、水の中に飛び込ませる。いやがっていても、水の中に突き落とされた。

 溺れそうになる者が続出した。途中に教員が待ちかまえて助けるのだが、溺れている生徒は必死だ。女子生徒の中には水着が脱げて、上半身あらわな子もいた。その子たちはプールサイドに助け上がられてから肩をふるわせて泣いていた。

 当時はだれもこれを「人権無視」だとは考えなかった。残念ながら、私もその時は、自分が泳げるのをよいことに、毎年このショーを興味本位に高みから見物していた。

 私が教員になった二十数年前も、先輩の教師の多くは戦中派で、陸士出の人や特攻の経験者が教頭や校長をしていた。ある学校では「匍匐前進」などという軍隊の言葉が教育現場で実際に使われていた。その学校の管理職も陸士出の元将校だった。

 私の勤務した高校でも、毎日生徒を使って、国旗を掲揚したり降納していた。そのあいだ、グランドの生徒や職員は直立不動である。これとは別に、私たちは教員も生徒も毎朝、玄関前の国旗に最敬礼するように校長命令で強制されていた。これは戦時中のはなしではない。戦後の話である。そして、近未来のすがたでもある。

 くわしくは、HPに掲載した「日の丸の好きな県立高校」を見ていただきたい。http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/koukou.htm


橋本裕 |MAILHomePage

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